【中国経済レポ−ト】
講演要旨 アメリカ発金融危機と中国経済の行方
多摩大学教授 沈 才彬
2008年10月20日「十八日会」での講演要旨
◎2008年10月20日、日本財界人の会合「十八日会」は、沈才彬・多摩大学経営情報学部教授を招き、日本工業倶楽部にて月例講演会を開催しました。福井俊彦・前日銀総裁をはじめ財界人58名が出席し、熱心に講演を聴講しました。次は沈の講演要旨です。
●「Governance tire」(統治疲労)はアメリカ発金融危機の遠因
◎1997年に発生したアジア通貨危機は局部的な危機であり、欧米主要国への波及はなかった。ところが、今回の金融危機は震源地がアメリカであり、世界経済の心臓部とも言われる欧米先進国では例外なく激震に襲われた。しかも伝染病のように、危機が急速に全世界に拡散し、新興国や途上国も逃れなかった。
◎アメリカ発金融危機は住宅バブルの崩壊を発端に、サブプライムローン問題が表面化し、信用危機、そして金融危機に発展し、いま経済危機となりつつある。この意味では米国発危機はまだ「序章」の段階にあり、さらに拡大する可能性が大きい。
◎歴史的に見れば、今回の危機は「Governance tire」(統治疲労)による危機の側面が否定できない。旧ソ連崩壊・冷戦終結後、世界の政治も経済も軍事も名実ともにアメリカによる「一極支配」の時代に入った。だが、イラク戦争の泥沼化に示されるように、アメリカでは長期的な支配による「Governance tire」(統治疲労)が起こっており、一極支配の限界を見せている。これはアメリカ発金融危機の遠因ともなっている。
◎今回の危機は「米一極支配時代」の終りの始まりとも言え、世界的な再編が避けられない。問題はアメリカに代わる勢力がまだ見つからず、世界は「無極化」に陥る恐れがある。
◎社会主義危機の時は資本主義的な手法が有効だった。1991年、当時の中国最高実力者・ケ小平氏は、香港のある実業家に次のように述べたことがある。「実は、私は資本主義に学んで、社会主義を良くしたのである」。今の危機は金融資本主義の危機であり、社会主義的な手法が有効と多くの人々に思われる。
●「内憂外患」を抱える中国経済の現状
◎中国経済を一言で表現すれば、「内憂外患」だ。「内憂」はインフレ昂揚とバブルの崩壊である。今年3月の「全人代」で温家宝首相はインフレ率を4.8%に抑える目標を掲げた。しかし、1〜9月期実績で7.0%に上り、通年目標の4.8%は無理だろう。行き過ぎた物価上昇は直接、国民の生活に悪影響を与えかねない。「インフレほど国民感情を害するものはない」と、アメリカの学者、ノーベル経済奨受賞者のミラー氏が述べた。インフレ昂揚は社会不安にもつながるため、中国経済にとっての心配事と言える。
◎株式バブルは既に崩壊済。昨年10月の高値から今年9月18日に記録した年初来の安値まで、株価下落率は7割近くにのぼる。今後、不動産バブルの崩壊は特に要注意。
◎「外患」は米国発金融危機の影響および世界同時不況の懸念。米国は中国の最大の輸出先であり、金融危機によって、中国の対米輸出に急ブレーキがかかり、実態経済への影響が出始めている。
◎「内憂外患」の下で、経済減速が加速している。昨年11.9%成長に比べ、今年第1四半期は10.6%、第2四半期10.1%、第3四半期9%と、急速に減速している。
◎米国発金融危機の日中両国の影響を比較すれば、金融・資本市場では中国の影響が大きいが、一方、実態経済では日本の影響が中国より大きい。日本の対米輸出の急減および第2四半期の実質経済成長率がマイナスに転落したことはその裏付けである。
●「政変」に弱く、外部危機に強い中国経済の特徴
◎中国経済は「政変」に弱い体質をもっている。これまでの経済成長の挫折はほぼ例外なく「政変」の年に起きたのである。例えば、1966年「文化大革命」が発生し、翌年に劉少奇・国家主席(当時)が失脚した。67年の経済成長率は-7.2%、68年も-6.5%と2年連続マイナス成長を記録。1976年、毛沢東・党主席と周恩来首相が病死、毛の側近・「四人組」逮捕というクーデタが発生。その年の成長率もマイナス2.7%を記録。「天安門事件」が発生し、趙紫陽総書記が失脚した1989年の成長率も前年の11.3%から4.1%へ急落した。
◎ところが、中国経済は外部危機に意外に強い。1998年アジア通貨危機の時、ASEAN諸国および韓国、ロシアなどの国々は相次いでマイナス成長に転落した中、中国は7.8%を保った。2001年、アメリカのITバブル崩壊の時、米国0.8%、日本0.4%、シンガポール-2.3%、台湾-2.2%に対し、中国は依然として8.3%成長をキープし、「1人勝ち」の様相を示した。
◎以上検証したとおり、「政変」が起こらない限り、中国「沈没」は発生しない。北京オリンピック開催の成功、有人宇宙船発射と船外活動の成功などによって、胡錦濤政権の基盤が強化され、当面、政変の発生が考えにくい。アメリカ発金融危機の影響が確かに大きいが、経済沈没には繋がらない。2008年の成長率は10%近くになるのではないかと私は見ている。
●政府の死守ラインは「2つの8%」
◎アメリカ発金融危機に対応するため、中国政府はいま政策転換を行っている。1つは過熱経済の防止、インフレ昂揚の防止という「2つの防止」から「1つの防止、1つの確保」(インフレ防止、安定的な高成長確保)への転換である。もう1つは「金融引き締め」から「金融緩和」への転換だ。
◎8月に北京、上海へ出張に行った。政府高官から直接に話を聞く機会があった。中国政府が警戒しているのは「2つの8%」だ。インフレ率が8%を上回らないようにすることが1つ。そしてもう1つが経済成長率で8%を超えるようにすることだ。政府としてはそれが死守ラインだと言っていた。
◎中国の現状を考えると、成長率が8%を下回ると中小企業を中心に倒産が急速に増えることになる。失業者が増加することで、雇用問題が表面化する。社会不安につながらないよう、政府は2つの8%を死守する考えのようだ。
◎米国景気の影響で、強い国内消費でさえ冷え込むことも考えられる。それに備え政府は一連の景気対策を打っている。中国は今年1〜6月期に前年同期比で3割以上も税収が増え、上半期の財政黒字は20兆円に達したため、この財源を、財政出動を含む景気対策に活用できるのである。
●2010年上海万博以降は要注意の時期に入り、経済沈没の可能性も
◎五輪開催効果への反動、世界同時不況の影響によって、2009年中国のGDP成長率はさらに8%前後に減速する。2010年には上海万博開催があり、9%になるのではないかと見ている。ただし、それはアメリカ景気回復が前提条件だ。上海万博終了まで、中国経済「沈没」のシナリオはないと見ていい。
◎しかし、2010年以降、中国経済は要注意の時期に入り、沈没のシナリオもあり得る。北京五輪、上海万博という国家イベントを成功させるため、多くの国民は不満があっても我慢する。しかし、この2つのビッグイベントが終わると、これまで国民の溜まった不満が一気に爆発する恐れがある。
◎不満の矛先は格差問題と政府幹部の腐敗である。中国には3つの格差が存在する。まずは貧富格差である。総人口のうち、最も豊かな10%の収入と最も貧しい10%の収入差が100倍以上だという。二極化が明らかに進行しており、貧困層には不満がくすぶっている 2つ目は地域格差である。07年、最も豊かな上海市と、最も貧しい貴州省の1人当たりGDPの格差は約10倍ある。日本で最も豊かな東京都と最も貧しい沖縄県の1人当たり所得格差が2倍である。どれだけ中国の格差が深刻であるかわかるだろう。3つ目は都市と農村の所得格差である。政府統計では3.5倍、実質は6倍となっている。
◎要する、貧困層、農村部、内陸部の人たちは富裕層、都市部、内陸部の人たちに比べれば、高度成長の恩恵を受けていない。豊かな人たちと貧しい人たちとの格差が広がれば、貧しい人たちは不満を抱く。その富が汚職・腐敗など非合法的な手段によって構築されたものであれば、なおさら、溜まった不満は一気に噴出しやすい。
●2013年は特に要注意の年
◎個人的な見解だが、2013年は特に要注意の年である。
◎理由は3つある。1つ目は、2013年は政権交代の年である。胡錦濤政権から次の政権にバトンが渡される予定。これまでの経験則では、政権交代の年には権力闘争が起きやすい。長期化すれば経済成長に悪影響を及ぼしかねない。また、政権交代の年に不測事件への対応が遅れがちだ。例えば、2003年3月に新型肺炎SASSが発生し、政府の対応が遅れ、経済に大きな影響を与えた。まさに江沢民政権から胡錦濤政権へ変わった時期に起こった出来事である。
◎2つ目は米国によるチャイナ・バッシングの恐れ。私の試算では2013年中国は日本のGDPを追い抜き、アメリカに次ぐ世界第二の経済大国になる見通し。実は、アメリカという国は自分の存在を脅かすライバルの出現を許さない国である。日本がかつて経験したジャパン・パッシングのように、アメリカによるチャイナ・バッシングも起こる可能性が十分あり得る。
◎3つ目は政治民主化問題である。2013年中国の1人あたりGDPは3000-4000ドルに達する見通しである。国民が豊かになれば、経済の自由化だけでは満足できず、政治の民主化も求める。しかし、1989年の天安門事件のような民主化運動が発生すれば、経済成長も挫折する。
◎中国は世界経済のエンジンである。また、日本にとって最大の貿易相手国であり、最大の輸出先でもある。中国経済が沈没すれば、日本経済への打撃は甚大だ。
◎重要なのは「中国沈没」が一時的なものになるか、それとも長期化するか。個人的には、一時的な沈没にとどまる可能性が高いと思う。理由は次の3つある。
◎1つ目は工業化が未完成であり、全国的に見ればまだ6割しか完成していない。2つ目は都市化も未完成な状態であり、農村部人口は依然55%を占める。3つ目は中間層・富裕層の急増で、市場が拡大する。
◎要するに、中国経済の潜在的成長力がまだ大きい。たとえ中国経済は一時的な沈没が起きても、長期的に見れば、2020年まで年平均6%―7%成長が可能である。