【中国経済レポ−ト】
それでも沈没しない中国経済の底堅さ
中国の経済は政変に弱いが、外部環境の変化に強い構造をもつ。米国発金融危機の影響だけでは経済沈没に繋がらない。
多摩大学教授 沈 才彬
2008年12月16日《エコノミスト》誌
世界経済はこれまで2つのエンジンに牽引されてきた。1つは米国経済、もう1つは中国経済だ。ところが今「100年に1度」の金融危機に襲われ、米国経済というエンジンが失われ、世界中に激震が走っている。そこで、残るもう1つのエンジンである中国経済の行方に注目が集まっている。
●米一極支配の限界
今回の米国発金融危機は米住宅バブルの崩壊およびサブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)問題の表面化に端を発したものである。しかし、歴史的に見れば、米国一極支配の「統治疲労(Governance tire)」という側面も否定できない。
1991年のソビエト連邦解体による冷戦終結後、世界は唯一の超大国である米国支配の時代に入ったが、2001年の同時多発テロ後の米国の2つの戦争(イラク戦争、アフガン戦争)は泥沼化している。また、経済のグローバル化は、米国を軸とした資金循環を作り出したが、その歪みが世界に信用収縮の連鎖を招いている。米国一極支配では世界秩序が保てないという限界が明らかになっているのである。
今回の金融危機は「米一極支配時代」の「終わりの始まり」であり、世界的再編は避けられない。11月15日にワシントンで閉幕したG 20(主要20カ国・地域)による緊急首脳会合(金融サミット)の共同宣言も、国際通貨基金(IMF)や世界銀行など米国主導の国際金融機関改革の必要性を強調した。問題は米国に代わる勢力が見あたらないことだ。しばらくの間、世界は「無極化」に陥る恐れがある。
かつて社会主義の危機においては、資本主義的な手法の導入が極めて有効であった。中国は78年に改革・開放政策を導入し、92年の第14回党大会では社会主義市場経済の確立を宣言した。91年、当時の中国最高実力者・ケ小平氏は、改革・開放政策の成功の理由を香港のある実業家に問われ、次のように述べている。「実は、私は資本主義に学んで、社会主義を良くしたのである」。極めて明快な答えである。
一方、資本主義の危機の時は社会主義的な手法が有効であることも忘れてはいけない。30年代に欧米資本主義諸国を大恐慌が席巻した際、不況から逃れた唯一の大国は社会主義国・ソ連であった。32年、旧ソ連は世界機械輸出の50%を吸収し、世界経済の「救世主」とまで言われた。当時の米大統領ルーズベルトが打ち出した危機対策「ニューディール政策」も、公共投資拡大など社会主義的な手法を特徴とするものだった。
今回の金融危機は、マネーゲームに奔走していた金融資本主義の危機である。それを克服するために、各国政府は相次いで銀行への公的資金注入、もしくは国有化、公共投資拡大などの危機対策を打ち出している。これらの政策も基本的には社会主義的な手法を特徴とするものと見られる。資本主義の退潮と社会主義の台頭という一時的な社会現象は世界的に起きるだろう。
●政変の年に成長の挫折
米国発金融危機が中国経済に与える影響は大きい。まずは資本市場への影響だ。07年8月、サブプライムローン問題が表面化し、米国発世界同時株安が発生した。その後、中国の株式バブルが崩壊し、上海総合株価指数は07年10月の高値から08年11月4日の年初来安値まで約72%も下落した。不動産価格も下落している。こうした逆資産効果が影響した結果、個人消費にも陰りが出始め、自動車の新車販売台数は08年8月から前年比減少に転じたのである。
実体経済への影響も大きい。中国にとって、米国は国別では最大の輸出先であり、最大の貿易黒字相手国である。07年の輸出と貿易黒字に占める対米実績の割合はそれぞれ19・1%、62%を占める。金融危機で中国の対米輸出は急ブレーキがかかり、08年1?7月は前年同期比9・9%増にとどまり、6年ぶりに1ケタ増に減速。対米輸出の急減速は、輸出全体に悪影響を及ぼし、08年1?9月の輸出の伸び率は22・3%で前年同期比4・8ポイント低下、貿易黒字は2・3%も減少した。
これまでの中国の高度成長は輸出依存型とされる。金融危機の逆風を受け、輸出は鈍化し、貿易黒字が減少に転じた結果、経済成長率も急減速を見せている。成長率は07年の11・9%から08年1?3月期は10・6%、4?6月期10・1%、7?9月期9%へと急ピッチにスピードを下げている。10?12月期の成長率はさらに低下する確率が高い。
とはいえ、筆者は、米国発金融危機の影響で、経済成長が挫折するシナリオはないと考える。中国経済は「政変」に弱く、外部危機に強い特質をもつからだ。
中国の経済成長率の推移を調べると、これまでの経済成長の挫折はほぼ例外なく「政変」の年に起きていることがわかる(図)。1966年には文化大革命が発生し、翌67年に劉少奇国家主席(当時、以下同)が失脚している。67年の経済成長率はマイナス7・2%、68年もマイナス6・5%と2年連続マイナス成長を記録した。毛沢東主席と周恩来首相が相次いで病死し、毛の側近だった四人組の逮捕というクーデターが発生したのが76年。この年の成長率もマイナス2・7%だった。89年には天安門事件が発生し、趙紫陽総書記が失脚したが、この年の成長率も前年の11・3%から4・1%へ急落したのである。「政変に弱い」という中国経済の異質的な構造が浮き彫りになっている。
中国は共産党一党支配にあり、経済活動は党主導で行われている。主要幹部が更迭されれば、中央から地方まで大規模な幹部異動が避けられない。このため、政治的な混乱と社会的不安が生じ、生産活動などが鈍り、経済成長も挫折するのである。
ところが、逆に、外部危機には中国経済が意外に強い。97年のアジア通貨危機の際は、ASEAN(東南アジア諸国連合)および韓国、ロシアなどの国々が相次いでマイナス成長に転落したなか、中国は7・8%を保った。米ITバブル崩壊後の01年には、米国0・8%、日本0・4%、シンガポールマイナス2・3%、台湾マイナス2・2%に対し、中国は依然、8・3%という世界トップクラスの成長率を維持していた。
アジア通貨危機発生時の中国の対応を振り返ってみよう、97年7月、タイの通貨バーツが暴落したのをきっかけに、アジア諸国の通貨も相次いで急落し、金融危機が発生した。中国政府はさっそく3つの危機対策を打ち出した。1つ目は人民元の切り下げをしないと公約し、通貨危機の連鎖を断ち切るという強烈なメッセージを世界に発信した。
2つ目は公共投資を中心とする内需の拡大に注力し、アジア通貨危機による実体経済への影響を最小限に抑えた。当時、通貨危機の影響で輸出が落ち込み、個人消費も拡大の余地が少なかった。景気刺激策として公共投資しか手段がない。そこで中国政府は98?00年の3年間、3600億元(約435億j)の建設国債を発行し、高速道路などインフラ投資に公的資金を注いだ。この3年間、インフラ投資による経済成長率への寄与度は1・7ポイントにのぼったという。97年、中国の高速道路は延べ4800`と日本の8割弱に過ぎなかったが、07年末現在では日本の6倍に相当する延べ5万5000`に急増したのである。
3つ目は、公的資金を4大国有商業銀行に注入し、不良債権の処理を急ぎ、金融危機を未然に防いだことである。97年末時点で、中国の金融機関の不良債権比率は25%にのぼり、その総額が同年の国内総生産(GDP)の3割弱に相当した。抜本的な金融改革を行い、巨額の不良債権を処理しなければ、金融危機につながる恐れがあった。
そこで、当時の朱鎔基首相は大規模な公的資金注入で不良債権の処理に取り組んだ。98?04年の7年間で4大国有銀行に注入された公的資金は累計で2827億jにのぼった。その結果、中国銀行、中国工商銀行、建設銀行は株式化改革を完成させ、香港・上海両株式市場への上場を果たした。金融機関の不良債権比率は08年9月末時点で5・5%までに低下し、主要商業銀行の純利益も02年の364億元(約44億j)から07年の4467億元(約540億j)へと12倍も増えた。
07年末時点の銀行の株式時価総額世界ランキングでは中国工商銀行は第1位。三菱UFJグループの時価総額の約3倍に相当する。
今回の米国発金融危機で中国の金融機関は多少影響を受けるが、保有するサブプライムローン関連債権は極めて少ないため、欧米金融機関に比べ傷が浅い。大手銀行の経営基盤がしっかりしているため、金融危機の可能性はゼロに近い。
●「8%成長」が死守ライン
「政変」が起こらない限り、中国の経済成長は挫折しない。だが、北京五輪開催の成功によって、胡錦濤政権の基盤が強化されており、当面政変の発生は考えにくい。米国発金融危機の影響だけでは、経済沈没には繋がらないのである。
日米欧主要国の成長率が相次いでマイナス成長に転落したなか、今年の中国経済は昨年に比べ約2ポイント減速したものの、なお9・7%前後をキープできる。米国に代わり世界経済の最大エンジンになることは確実だ。
米国発金融危機に対応するため、中国政府は今、2つの政策転換を行っている。1つは、過熱経済とインフレ高揚に対する「2つの防止」から、安定的な高成長確保という「1つの確保」への転換。もう1つは「金融引き締め」から「金融緩和」への転換である。
中国政府は経済成長率8%を「死守ライン」とみなしている。成長率が8%を下回ると中小企業を中心に倒産が急速に増えることになる。失業者が増加すれば、雇用問題が表面化する。実際、08年1?6月の中小企業倒産件数は6万件を超えており、債務超過、経営破綻に追い込まれた経営者の自殺が後を絶たない。最近、破綻企業の賃金未払い問題をめぐる労使紛争、タクシー運転手のストライキ、リストラされた民ミンゴン工(農村からの出稼ぎ労働者)のデモなどが多発し、懸念材料が増えている。社会不安につながらないよう、政府は8%成長を死守する考えのようだ。
金融危機の影響で、日本と欧州は2四半期連続のマイナス成長を記録し、景気後退局面に入った。米国も08年第3四半期(7?9月)からマイナス成長に転じた。IMF最新リポート( 11月6日発表の世界経済見通し改定)によれば、09年に日米欧はいずれもマイナス成長に転落する見通しである。日米欧が同時不況になれば、中国の輸出増加はもはや期待できない。株価と不動産価格が大幅に下落しているなか、個人消費の拡大も疑問視される。景気対策として、即効性があるのはやはり公共投資である。
そこで中国政府は11月9日、10年末までに総額4兆元(約57兆円)を投じ、低所得者向けの安価な住宅の建設、鉄道や道路など交通インフラ整備、地震復興事業、増値税(付加価値税)改革による企業減税などを中心とする景気刺激対策を発表した。そのうち交通インフラ整備と安価な住宅建設の2項目だけで、投資総額は2・4兆元規模(約34兆円)にのぼり、内外の注目を集める。
この大規模な景気対策が完全に実施されれば、中国の成長率を1ポイント押し上げる効果があるという。それは中国政府の死守ラインの8%成長が確保されるだけでなく、世界経済への下支え効果も期待される。
さらに、この大型景気対策は、日本企業にも多くのビジネスチャンスを与える。住宅建設や交通インフラ整備が主な対象となるため、鉄鋼、建材、建機、車両・設備などの分野で中国の内需に関連が深い日本企業は恩恵を受ける。
●要注意は2013年
中国では10年に上海万博が開催される。その終了まで、死守ラインの8%前後の成長がなんとか維持されると思われる。
問題はその後である。北京五輪、上海万博という国家イベントを成功させるため、多くの国民たちは不満があっても我慢する。しかし、この2大イベントが終わると、溜まっている不満が一気に爆発する恐れがある。
不満の矛先は格差問題と政府幹部の腐敗である。中国には貧困層と富裕層の貧富格差、農村と都市の所得格差、内陸部と沿海部の地域格差という3つの格差が存在する。貧困層、農村部、内陸部の人たちは富裕層、都市部、沿海部の人たちに比べれば、高度成長の恩恵をあまり受けていない。豊かな人たちと貧しい人たちとの格差が広がれば、貧しい人たちは不満を抱く。その富が汚職・腐敗など非合法的な手段によって構築されたものであれば、なおさら、溜まった不満は一気に噴出しやすい。
私見だが、2013年は特に要注意の年であると考える。理由は3つある。1つ目は、13年は政権交代の年である。12年の18回党大会を経て、と翌13年の全国人民代表大会(全人代)で、胡錦濤政権から次の新政権にバトンが渡される予定だ。これまでの経験則では、政権交代の年には権力闘争が起きやすく、長期化すれば経済成長に悪影響を及ぼしかねない。
2つ目は米国によるチャイナ・バッシングの恐れである。筆者の試算では13年に中国のGDPは日本を追い抜き、米国に次ぐ世界第2位の経済大国になる見通しである。米国は自分の存在を脅かすライバルの出現を許さない国である。日本がかつて経験したジャパン・バッシングのように、米国によるチャイナ・バッシングも起こる可能性が十分あり得る。
3つ目は政治民主化問題である。13年の中国の1人当たりGDPは4000j前後に達する見通しである。国民が豊かになれば、経済の自由化だけでは満足できず、政治の民主化も求める。だが、89年に起きた天安門事件のような民主化運動が発生すれば、経済成長も挫折する。
このように、13年は中国の重要な節目となろう。ただし、経済の潜在的成長力がまだ大きいため、仮に中国の経済成長が挫折した場合、それは一時的なものにとどまる可能性が高いと思う。
中国の工業化と都市化はいずれも未完成な状態にあり、今後も進むだろう。さらに中間層・富裕層の急増で市場拡大の余地が十分ある。長期的に見れば、2020年まで年平均6?7%成長が実現可能ではないかと思う。