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【中国経済レポ−ト】
【中国経済レポ−ト】
中国経済「2つの8%」に課題

多摩大学教授 沈 才彬
『日経ビジネス』2008年9月8日号編集長インタビュー

  • 株式バブルは既に崩壊
  • 五輪後も成長は失速せず
  • 懸念は上海万博の後に
  • 難しいインフレの抑制
  • 輸出志向型企業は苦戦
  • 経済の質で勝負
  •  株価と不動産のバブルに加え、最大の輸出先である米国景気の失速。北京五輪後の中国経済を危惧する声は強いが、成長率10%は可能と見る。日本企業は外需を呼び込む発想も必要と説く。 (聞き手は本誌編集長、 佐藤 吉哉)

     問 北京五輪後の中国経済の行方は世界の関心の的です。現地の印象は。

     答 8月11〜21日まで北京と上海を訪問し、現地調査の合間に五輪観戦もしました。開会式の演出など様々な問題が取りざたされました。それでも北京五輪を無事終え、成功を収めた高揚感が漂っていました。そこにチベット族やウイグル族など少数民族の反乱、テロ、農民暴動などから来る不安感。この2つの感覚が混在している、というのが私の見た今の中国です。  経済面のマイナス材料、あるいは懸念材料としてはバブル崩壊がありますね。とりわけ株式市場のバブルは崩壊したと感じています。代表的な株価である上海総合指数は、直近の高値をつけた昨年10月から6割も下がった。時価総額で14兆元超、日本円換算で200兆円を超える金額が消えました。これは中国の昨年のGDP(国内総生産)の半分以上に相当します。不動産バブルは崩壊までいきませんが、成り行きによっては銀行の不良債権が急増する恐れがあります。  問 インフレ圧力も収まりません。

     答 今年3月の全国人民代表大会(全人代)で温家宝首相はインフレ率を4.8%に抑える目標を掲げました。ただこれは不可能です。1〜6月期実績で7.9%、7月は6.3%に下がりましたが年平均で4.8%は無理でしょう。  行き過ぎた物価上昇は直接、国民の生活に悪影響を与えかねません。インフレほど国民感情を害するものはない、とまで言われる代物です。社会不安にもつながるため、中国経済にとっての心配事と言えます。

    ●米国景気の失速が悪影響

     これら内憂に加え、外患としての懸念材料は米国の景気失速です。上海の株価下落という影響以外にも、中国の実体経済に与える影響も大きい。米国は中国の最大の輸出相手国です。米国景気が後退すれば、当然、中国経済も無傷ではいられません。実際に今年1〜7月期には昨年同期比で、貿易黒字額が9.6%も減っています。

     問 外需に依存するだけに、落ち込みは経済成長に即、打撃となります。

     答 4〜6月期の実質経済成長率は前年同期比10.1%でした。昨年が11.9%だから大幅に鈍化していることは間違いない。ただ通年で10%を下回ることはないと考えています。一番難しい時期は過ぎ去りましたから。

     問 随分、楽観的ですね。

     答 チベットの暴動、四川省の大地震、そして雲南省での連続バス爆破事件に新疆ウイグル自治区でのテロ事件。西側諸国から批判、非難も起こりました。中国は大きなダメージを受けましたが、これらの大半は4〜6月期に集中したものです。

     五輪期間中、大気汚染を防ぐ環境対策として一般車両をナンバーによって規制したり、数千社の工場が止まったりした。こうした我慢の時が終わり、これから経済活動が本格的に再開される時期に差しかかるわけです。

     問 「さあ、これから」と言っても、五輪も終わり、輸出需要も落ちている。「もう、いらない」とはなりませんか。

     答 7月の中国の経済指標を調べてみたんです。GDPを構成する個人消費、投資、輸出について見たところ、確かに投資と輸出には成長鈍化の兆候が表れている。しかし消費は強い。この傾向は今年になってからの中国経済の変化の特徴でしょう。

     1〜7月の消費は前年同期比で21.7%増えました。昨年の同時期の調査より、伸び率が6.2ポイントも上がったのです。都市部と農村部という格差問題は依然ありますが、それでも全体として中国は豊かになってきている。そのため今年の成長率が、通年で10%を下回ることはないと考えています。

     ただし過去の経験則から、新興国が五輪の開催地になった場合、翌年の経済成長率は下がる傾向があります。中国も例外ではないでしょう。それでも来年で8%台、米国経済の復活という前提条件があれば2010年は9%台を維持すると見ています。

     問題はその後、2010年の上海万博が終わってからです。五輪と万博という2大イベントが終わると、様々な問題が噴出する恐れがある。例えば格差問題。最も豊かな上海市と最貧の貴州省では1人当たりGDPが10倍も違います。日本でも格差問題が喧伝されますが、せいぜい2倍です。格差是正が進まないと民族間対立が今より先鋭化し、政治問題に発展しかねません。

     問 政治の民主化が急浮上する…。

     答 一党支配が永続しないことは共産党の幹部だって分かっているはず。ただ、下手をすれば旧ソ連崩壊の二の舞いとなってしまいます。そうなれば8〜9%成長どころか、マイナス成長が待っています。シンガポールや台湾のような政府主導による民主化への転換が望ましい形ではないでしょうか。

     問 今回の訪中では、政府関係者の意見も聞いたそうですね。

     答 中国の政府高官、それから大学の先生や民間シンクタンクの研究者と意見交換をする機会がありました。政府高官が警戒していたのは「2つの8%」でした。インフレ率が8%を上回らないようにすることが1つ。そしてもう1つが経済成長率で8%を超えるようにすることです。政府としてはそれが死守ラインだと言っていました。

     中国の現状を考えると、成長率が8%を下回ると中小企業を中心に倒産が急速に増えることになる。失業者が増加することで、雇用問題が表面化する。社会不安につながらないよう、政府は2つの8%を死守する考えのようです。

     米国景気の影響で、強い国内消費でさえ冷え込むことも考えられます。それに備え景気対策を打つでしょう。中国は今年1〜6月期に前年同期比で3割以上も税収が増えています。この財源を景気対策に活用できるのです。

     悩ましい面もあります。積極財政で景気対策をすれば、インフレを助長しかねません。難しい舵取りが、中国政府には求められています。注目されるのは、10月の共産党中央委員会の全体会議です。そこでは財政出動を含む総合的な景気対策が打ち出されるでしょう。それがどんな内容になるかがポイントです。

     問 インフレ抑制には、人民元の一段の切り上げが有効のはずです。

     答 実際、今年に入り切り上げのスピードは速まっています。ただ、それによって輸出産業はダメージを受ける。経営状況が悪化した中小企業の倒産件数が大幅に増えています。今後はむしろ、切り上げの速度を緩める可能性が高いと見ています。輸出企業への振興策です。

     中国の中央銀行である中国人民銀行の周小川総裁は、切り上げ積極派として知られます。輸入品の価格を抑えインフレ率を抑制し、それにより経済を安定化するという考え方です。ところが米国の景気後退懸念が強まった結果、輸出企業に配慮する必要性が高まったのです。

    ●中国内需を狙う日系企業

     問 輸出拠点として現地に展開する日系企業も多く、気になるところです。

     答 進出の狙いに3つのパターンがあり、難しい局面を迎えているのが「輸出志向型」企業でしょう。安価な労働力を求めて進出した企業は、雇用法制の改正や人民元切り上げの影響で、当初の思惑がズレ始めている。

     成長する中国経済の果実をうまく受け取っているのが「内需志向型」の企業です。中国人向けに商売をする日系企業は今後増えるでしょう。急ピッチで進む都市化、増える富裕層、中間層。ビジネスチャンスはそこにある。3つ目の進出パターンとして「研究・開発型」の企業があり、中国は人材が豊富なだけに順調な推移が期待されます。

     日本について見ると、政府の政策が理解できない時がある。外需依存から内需依存への転換はスローガンとしては素晴らしい。しかし、現実には矛盾をはらみます。日本の人口は減り始めている。おのずと国内需要は減る。従って外需こそ拡大すべき分野です。外需には日本製品を輸出して儲けること以外に、外国人を日本に呼び込んで、消費してもらうことも含めて考えた方がいい。そうした視点に、日本経済再浮上のヒントがある気がします。

     問 GDPで日中逆転も近いです。

     答 私の試算では早ければ2011年、遅くとも2013年には抜くでしょう。私が日本人だったとすれば、心中穏やかではない。しかしそれをもって中国脅威論とはなりません。日本の政府、あるいは企業が勝負どころと認識すべきは経済の規模ではなく質です。優れた技術力、高いブランド力、そこには日本に一日の長があります。そのリードをいかに維持し拡大するか。こう考えると、闘うべき相手は中国企業ではなく本当は日本企業自身なんです。脅威論ではなく、技術などで堂々と勝負する。そんな心の準備が必要でしょう。

     問 世界を取り巻く政治・経済情勢は、きな臭くなってきています。

     答 まずは米中。経済を巡る摩擦は必ず起きます。しかしこの20年間を見ても、両国の交渉はギリギリのところで妥協してきた経緯がある。米中の間には太いパイプもあります。クリントン政権時代、米国は中国を「戦略的なパートナー」と位置づけていました。ブッシュ政権が誕生すると、これが「戦略的な競争相手」に変わりましたが、9.11テロによって再び状況は変わったのです。米国にとっての脅威は中国ではなくなり、テロになったのです。米中関係は一気に改善しました。

     もし、米国がまたロシアと対立するような状況になると、米国が中国に矛先を向ける余裕は一層なくなるでしょう。中国にとってはありがたい国際環境と言えます。紛争には直接関与せず、平和的な解決にはコミットする立場を取ることができるのです。

     問 ロシアとはどう向き合いますか。

     答 資源ナショナリズムが台頭するロシアは石油高、天然ガス高により財政が潤ってきました。旧ソ連崩壊後の経済失速で、ロシアは他国に対し我慢を重ねてきました。しかしもう限界です。グルジアとの紛争も不満の爆発と見ることができるでしょう。ただ中国が、ロシアまたは米国の一方と手を組むことはあり得ない。中国の基本的な外交政策は国際的な発言力を増しながら敵を作らないこと。他国と友好関係を築き自国の経済成長に専念したいと考えている。それほど中国は今、経済運営に重点を置いているのです。

    ◎沈 才彬(シン・サイヒン)氏

    1944年中国江蘇省海門市生まれ、63歳。中国社会科学院大学院修士課程を修了し、同大学院の準教授となる。84年から東京大学、早稲田大学、お茶の水女子大学、一橋大学などの客員研究員を歴任。93年に三井物産戦略研究所主任研究員となり、同中国経済センター長となる。2008年4月に多摩大学経営情報学部の教授に就任した。学生時代は日本経済史を学び、日本語が堪能。今年8月からは日本政府の観光立国推進戦略会議ワーキンググループのメンバーにもなっている。

    ●傍白

     大国・強権主義に傾斜するロシアの隣国で、エネルギーの輸入先としても依存する中国。どんなスタンスを取るかは今後の世界政治・経済秩序の重要なカギです。ロシアの台頭、新・冷戦時代の幕開けは「中国にとって好機。米ロの軋轢が強まれば強まるほど、調整役としての中国の出番が増える」と沈さんは見ます。

     政治、経済を問わず、したたかな外交戦略が各国に問われる局面。それは海外で展開する企業も同じです。荒波に漂う木の葉のような立場の不安を託つのでなく、しっかりとした経営戦略が試されます。「今こそ『親米睦中』」。米国との連携は維持しつつ、相互依存度を高める日中の睦まじい関係の構築を訴えます。