【中国経済レポ−ト】
北京五輪「高揚と不安」のこれから
多摩大学教授 沈 才彬
『エコノミスト』誌2008年9月2日号
中国が国家威信をかけて開催した北京五輪は、204カ国・地域が参加し、開会式には80カ国超の首脳が顔をそろえた。いずれも五輪史上最多記録である。
北京五輪が、経済成長で急速に台頭する「大国」としての強烈な印象を世界に与えたことは確かである。一方、この時期、チベット暴動、雲南省のバス連続爆破事件、新彊ウィグル自治区のテロ事件、各地の農民暴動などさまざまな社会矛盾も噴出している。
国家高揚と社会不安の混在。これからの中国はどこに向かうのか?
●五輪がもたらす変化
所得格差、民族紛争、人権や民主化問題など中国が抱える課題は五輪開催で解決に向かうわけではない。しかし、過去の例を見る限り、五輪開催は新興国に大きな変化をもたらした。
第二次世界大戦終結後、ロンドン(1948年)から前回アテネ(2004年)まで、計15回の五輪のうち、新興国の開催は3回もあった。64年の東京、68年のメキシコ、88年のソウルである。
どのような変化がみられたのか。
第一に、五輪開催は新興国に経済成長の果実をもたらす。日本の例を見よう。58年の招致成功から64年東京五輪開催までの7年間、日本の年平均経済成長率は10%を記録した。五輪開催から第一次石油ショック(73年)までの8年間も同9.3%を保った。五輪開催を中軸に、前後15年の高度成長が続いたのである。
韓国もほぼ同様である。81年のソウル五輪招致成功から88年の開催までの7年間の年平均経済成長率は9.3%。五輪開催から96年のOECD (経済協力開発機構)加盟までの8年間も同7.4%と高かった。韓国も五輪開催前後15年の高度成長を経験した。メキシコは、招致成功後の63年から開催年(68年)までの6年間、年平均経済成長率 7.9%、69年から81年までの13年間は同6.4%と、計19年の経済成長が続いた。
中国の今年の経済成長率は10%に達する見通しだ。北京五輪招致の2001年から08年開催までの8年間、年平均10.1%の高度成長が実現する。
第二に、先進国入りの実現だ。日本は東京五輪開催の64年、OECD加盟を果たした。メキシコは五輪開催から26年後の94年、韓国はソウル五輪開催8年後の96年にそれぞれOECD加盟国になった。
第三に、独裁政権の維持が難しくなり、民主主義体制への移行が実現されたことである。韓国では五輪開催直前の87年に直接選挙の導入、言論の自由、政治犯の復権などが実現され、独裁政権に幕を閉じた。旧ソ連ではモスクワ五輪(1980年開催)11年後の91年に共産党独裁政権が崩壊し、民主主義体制への移行が始まった。メキシコでは五輪開催を前に民主化運動が盛り上がり、開幕の10日前にメキシコ市中心部で軍隊が学生、市民を武力弾圧し、死傷者数百人の大惨事となった。しかし、32年後の2000年に、71年間も続いてきた国民革命党の一党独裁にピリオドが打たれ、民主主義体制の移行が実現された。
現在、五輪開催経験で独裁政権が存在する国はない。
長いタイムスパンで見れば、北京五輪は、中国が先進国へ脱皮する「成人式」であることは間違いないだろう。
●くすぶる貧困層の不安
だが、「成人式」が終わっても、すぐに先進国になるとは限らない。先進国への脱皮は痛みを伴う長いプロセスであり、決して容易ではない。中国はそれだけの難問を抱えているからである。
中国政府が悩み、頭を痛める問題の1つは格差問題である。
中国には3つの格差が存在する。まずは貧富格差である。中国の政府系研究機関の調査によれば、総人口のうち、最も豊かな10%の収入と最も貧しい10%の収入差が100倍以上だという。10万ドル以上の個人資産をもつ人が5000万人いるといわれる一方で、1日の生活費が1ドル未満という貧困層に属する人たちが1億人も存在する。二極化が明らかに進行しており、貧困層には不満がくすぶっている。
2つ目は地域格差である。07年、最も豊かな上海市と、最も貧しい貴州省の1人当たりGDPの格差は約10倍ある。日本で最も豊かな東京都と最も貧しい沖縄県の1人当たり所得格差が2倍である。どれだけ中国の格差が深刻であるかわかるだろう。
3つ目は都市と農村の所得格差である。政府統計では3.5倍、実質は6倍となっている。
つまり、貧困層、農村部、内陸部の人たちは富裕層、都市部、内陸部の人たちに比べれば、高度成長の恩恵を受けていない。豊かな人たちと貧しい人たちとの格差が広がれば、貧しい人たちは不満を抱く。その富が汚職など非合法的な手段によって構築されたものであれば、なおさら、溜まった不満は一気に噴出しやすい。
これまではひたすら耐えることの多かった国民だが、最近では抗議行動や農民暴動という形で自分たちの怒りを爆発させるようになっている。ほとんどは小規模なものだが、なかには中央政府を震撼させる暴動も起きている。
●省書記人質事件の衝撃
中国国内はもちろん、外国でもあまり報道されなかったが、04年に四川省漢源県で10万人規模の農民暴動が起き、四川省トップである党書記が農民たちの人質にされるという事件が発生した。
暴動のきっかけは、漢源県の発電所建設計画のため、農民たちが立ち退きを迫られたことにあった。立ち退き補償金は農民を満足させる額ではなかったため、一気に不満が爆発した。さらに、補償金の一部を腐敗幹部が横領していたこともわかり、10万人規模の暴動に発展したのである。
事態打開のため、張学忠・省党書記が自ら現場に駆けつけ、説得調停に乗り出した。しかし説得に失敗し、張書記の身柄は農民たちに拘束された。
中央政府は急遽、汪洋・国務院副秘書長(当時、現広東省書記)をトップとする中央工作組(特別チーム)を現場に送り、処理を命じた。中央工作組は発電所建設を一旦中止し、腐敗幹部3人の即免職、補償金の引き上げなど、農民たちの要請をある程度満足させ、その結果、暴動は沈静化された。
農民が地方政府トップを人質に取るという事件は新中国樹立後初の出来事であり、中国政府に大きな衝撃を与えた。そして、農民たちがどれだけ追い詰められているかを浮き彫りにしたのである。
四川省のケースは決して例外でない。いま、中国各地の農村部には暴動の火種がくすぶっている。05年だけでも暴動や抗議行動は8万7000件にのぼった。将来、何らかの問題が起こり、政府の対応があまりにも農民を無視したようなものになれば、一触即発の恐れもある。
ただし、いますぐに国家を転覆させるような大規模の農民暴動が発生する可能性は極めて低いとみるべきだ。全国的にみれば、農民たちはまだ絶望的な状況にまで陥っていない。都市部住民に比べて収入の上がるスピードは遅く、格差は広がるばかりだが、急速な経済発展に伴い、彼らの収入も上がってきている。
不満を感じている農民がいるのは事実だが、豊かになったと感じている農民たちも実際には多いのだ。農民工(出稼ぎ単純労働者)として都市部に出れば、確実に収入は増える。働きが認められれば正規労働者として雇用されるチャンスもある。働きながらお金を貯め、才能がある人たちは自らビジネスを起こして個人経営者になるという望みもあるのだ。希望がある限り、農民たちは暴動を起こすより、豊かな生活を目指して働くほうを選択する。
日本の農協のような全国的な農業組織が、中国にはないことも全国規模の暴動が起きにくい状況を生んでいる。中国の農村は横のつながりをもたず、分断されているのだ。こうした事情からも、全国的な同時暴動がいますぐに起きる可能性は低いと考えられる。
●沿海部から生まれる民主化運動
中国が抱える諸問題のうち、経済成長の前に立ちはだかる最大の壁は、政治民主化問題である。
実際、中国は80年代以降、経済成長の挫折を3回も経験したが、いずれも政治民主化の壁にぶつかり、中央指導部の意見が分かれて政局混乱に陥った結果である。1回目は1981年華国鋒党主席が党内闘争に敗れて失脚したことで、同年のGDP成長率は前年の7.8%から5.2%へ低下した。2回目は86年12月、学生運動に旨く対応できなかった胡耀邦総書記は責任を問われ辞任に追い込まれた事件で、同年のGDP成長率は13.5%から8.8%へ下がった。3回目は1989年天安門事件だ。趙紫陽総書記が失脚し、GDP伸び率は11.3%から4.1%へ急落した。
今後、国民は豊かさの実現によって、経済の自由化だけでなく政治の民主化も求めるだろう。特に北京、上海、天津、杭州、深せん、広州など沿海地域の1人当たりGDPは既に中進国の水準に到達しており、今後、民主化運動発生の可能性が高い。政府は政治民主化の要請にどう対応するか、いかに共産党一党支配体制から民主主義体制へ移行するかが21世紀の最大の課題である。
北京五輪という「成人式」を終えた中国はこれから先進国への脱皮に挑む。格差是正、環境への配慮、人権意識の浸透、民主主義体制への移行など、痛みを伴う長いプロセスだろうが、将来的には中国も日本、韓国のように先進国脱皮に成功するだろうと、筆者は信じている。