【中国経済レポ−ト】
講演抄録:中国経済の現状と今後の動向―中国の鉄鋼業を中心として―
沈 才彬
「鉄鋼新聞」(2007年9月27日)、「日刊産業新聞」(同9月27日)講演要旨掲載
日本線材製品協会では平成19年度の研修事業の一環として、株式会社三井物産戦略研究所 中国経済センター長の沈才彬 氏を講師にお招きし、去る9月26日、アークホテル大阪において講演会を開催した。以下は講演内容の要旨である。
●はじめに.世界の潮流と中国の台頭
今世界の潮流は何か、また、どういう特徴があるか。世界の潮流を見る前に、まず米国人の関心事を知る必要がある。
*「タイム」誌の2枚の表紙から見たアメリカ人の関心事
「タイム」誌の今年第1号の表紙は、イラク駐留米軍兵士の顔写真である事からわかるように、米国でいま一番大きな関心事はイラク戦争である。米国国民の中では、「イラク戦争は一体何のための戦争なのか」という疑問の声が強まっている。昨年11月、米国中間選挙で民主党が勝利してブッシュ大統領の率いる共和党が惨敗した。その結果、イラク戦争開戦時の海外政策の中心的な部分である一国主義・単独主義から、国際協調路線へ路線転換せざるを得なかったという事実がある。これは時代の潮流の一つである。
最近、米国と北朝鮮との間に直接交渉が行われ、急ピッチで米朝関係に改善の兆しが出てきている。その背景にはイラク戦争が泥沼化しており、解決のめどが立っていないことがある。
また、イランでも核疑惑をめぐり情勢が緊迫している。もし米朝の衝突が起きれば、米国にとって最悪のシナリオとなる。これらの事態を避けるため、ある程度北朝鮮に妥協して平和的に核疑惑問題を解決したい。これがブッシュ政権の本音である。
「タイム」誌第2号の表紙には、万里の長城と背後に一つの大きな星が昇っている。すなわち、台頭している中国の象徴的なイメージが描かれ、併せて「中国の世紀」という特集が掲載されている。このように、米国人の二番目の関心事は中国の台頭である。台頭する中国と、どう向き合うかは大きな課題となっている。これは米国だけの課題ではなく、世界全体の課題でもある。つまり、二つ目の潮流の特徴は、誰も予測できなかった中国の台頭である。
*誰も予測できなかった中国の台頭
実例を挙げると、まず携帯電話の普及である。1989年、中国の携帯電話保有台数はわずか1万台であったが、本年6月末時点で5億1800万台(日本の5倍)となった。これでも普及率は40%台である。中国の人口は13億人であることから考えると、携帯電話の市場拡大の余地は十分あると思われる。
次に自動車である。1989年、中国の自動車、特に乗用車の新車販売台数はわずかであった。しかし、昨年は721万台(内乗用車は385万台)に達し日本より約150万台多く、世界2番目の自動車消費大国になっている。これは20年前や30年前には誰も予想できなかったであろう。
三つ目は、鉄鋼である。粗鋼生産量は1957年には535万dであった。当時の毛沢東さんの大躍進政策で、3年後の1960年には無理やり一時的に1866万dを達成したものの、すぐに再び600万d台に戻ったという苦い歴史がある。ところが、ここ数年で中国の粗鋼生産は世界の中で圧倒的なシェアを持つようになり、昨年は何と4億2000万d、世界全体の33.8%を生産するまでになった。
*日中比較から見た中国の台頭
中国がWHOに加盟したのは2001年12月である。それから5年で、中国のGDPは2倍、輸出と輸入は3倍以上、外貨準備高は5倍以上に拡大した。2000年の中国の経済規模はわずか日本の4分の1である。それが2006年には日本の6割に相当する経済規模になっている。
*「第5の波」−世界経済史における中国台頭の位置づけ
これまで世界経済成長に重大な影響を及ぼした歴史的な出来事は5回ある。18世紀半ばごろのイギリスの産業革命、19世紀後半の米国の台頭、20世紀の60年代・70年代の日本の高度成長、90年代米国のIT革命、そして21世紀ではBRICSの台頭、特に中国の台頭が世界経済成長第5の波という位置づけである。中国は人口13億の大国であるから、世界経済に与えるインパクトは極めて大きい。特に素材とエネルギーという川上分野においては、中国需要の世界に対する貢献度はものすごい。
マイナス面もある。例えば、素材とエネルギーの国際価格について述べると、過去5年間で鉄鉱石の価格は3倍、銅5倍、原油は3倍以上値上がりしている。これには様々な要素があり投機的な要素もある。しかし、需要サイドから見れば最大の要素はやはり中国である。いま中国が国際価格の撹乱要素となっている。また、環境問題でも世界にマイナス影響を及ぼしている。中国の世界経済に与えるインパクトを見る時は、世界経済を牽引するエンジンの役割というプラス面と、国際価格の撹乱要素および環境汚染というマイナス面の要素、両方複眼的に見ておかなければならない。
●1.中国政治の最新動向
中国経済の行方を見る時に、中国の政治動向は無視できない。特に注目すべき点は、10月15日に開かれる中国共産党第17回全国代表大会である。新しい執行部がこの大会で選ばれ、胡錦濤主席は続投する見通しが確実となっている。なぜ続投するのかと言うと、胡錦濤政権の1期目は国民の支持率が高かったからである。
その理由を挙げると
@高度成長の持続:胡錦濤氏が2003年3月に国家主席に就任してからは5年連続10%台の高度成長が続いている。高度成長が続くと政権が安定する。
A安定的な政権運営:胡錦濤主席はバランス感覚があり、政権も安定的に運営し大きな失点がなかった。
B外交面:米中関係はいま良好な関係にある。悪化した日中関係も、昨年の安倍首相の誕生と訪中によって改善された。いま中国の外交、国際環境も安定している。
C危機管理能力が高い:危機意識が強く、新人の多い共産党中央執行部の経験不足を補うために権威ある専門家を招いて、国際・国内の問題、課題をめぐって勉強する形で政権運営能力を高めている。また、新型肺炎であるSARSを抑えるための全力投球や、汚職事件をめぐる上海市のトップ更迭事件等、問題や事件が起きた時に迅速な対応ができる。国民の目から見れば、危機にはそういうリーダーシップが必要との評価がある。要するに1期目の政権の実績があり、評価された結果として続投する。
*胡錦濤政権2期目体制の特徴
胡錦濤主席の2期目体制の特徴は次の四つが挙げられる。
@バランス重視と三和主義政策
国内では「調和の取れた社会の構築」を目指す。国際的には「平和な台頭」を目指す。台湾問題では「平和的な統合」を目指す。この三つの目標は、中国では三和主義政策と呼ばれている。いま中国では格差問題が拡大している。貧富の格差を是正し、人間と人間の調和を図ろうとしている。次に、経済と政治の調和。経済改革は進んでいるが、政治改革は遅れている。政経乖離現象が起きており、これから政治改革も行うという姿勢を胡錦濤主席が示し始めている。さらに、ここ数年間の高度成長は、環境を犠牲にした側面が否定できない。そこで環境と経済成長の調和も図ろうとしている。調和の取れたバランス重視の姿勢が一つの特徴である。
Aバナナ族の台頭
バナナ族とは欧米留学組のことである。中国人の顔をしているが、欧米人の意識を持っているとしてバナナ族と揶揄されている。1978年から2006年まで中国から外国への留学生は合計で88万人、そのうちの28万人は既に帰国している。また帰国者の多くは欧米留学組で、各分野で活躍している。今年4月に新しく入閣した4人の閣僚のうち3人がバナナ族であり、来年3月、中国の新しい内閣が発足し、さらに複数のバナナ族が入閣する見通しである。しかし、残念ながら中国における日本留学組の存在感は薄いといえる。
B団派の台頭
団派は共産主義青年団の出身者のことで、胡錦濤主席はこの青年団のトップであった。現在中国の政治舞台では、団派、江沢民の上海閥、親が高級幹部である太子党という三つの政治勢力がある。しかし、胡錦濤主席はバランス感覚があるので、偏った派閥人事は行わないと思われる。
C建国後世代の活躍
1949年新中国樹立以降に生まれた世代は革命の経験がなく、戦争の経験もない。これらの人たちはイデオロギーのカラーが薄く、実務傾向が強い。今後、党の「代表大会」を通じて幹部の若返りを行っていく見通しがある。
*共産党変質の背景には経済構造の大変化あり
かつての共産党は階級政党であるが、現在は大きく変わり、資産家・資本家も5年前の共産党大会から入党できるようになった。また、今年3月には物権法という法律ができ、私有財産が保護されることとなった。これら共産党変質の背景には、中国の経済構造の大変化がある。
過去10年間に、中国の国有企業、集団企業の従業員たちの数は何と7000万人減少し、その6割以上が私営企業、個人経営企業に移っている。
つまり、いまの私営企業と個人経営企業は国有企業のリストラの最大の受け皿となっており、無視できない存在として中国経済の中で大きな役割を果たしている。共産党政権は一党支配を維持するため、資産家、資本家たちを身内に取り込んだ。更には私有財産を法律で保護する。そういう形で共産党一党支配の正当性を維持しようとしている。
●2.過熱経済と「爆食」経済の行方
*「不着陸」状態が続く中国経済
中国経済は、2003年から毎年10%台の高度成長が続いているが、今年上半期の成長率は11.5%で、明らかに過熱気味となっている。中国では、過熱経済の行方をめぐって、大論争を展開している。しかし、実際、今年と来年の中国経済は、軟着陸もないし硬着陸もなく、不着陸状態が続く。理由は二つある。
@今年は党の代表大会が開催され、新しい執行部が選出される。中国のこれまでの経験によると、共産党の「全国大会」が開かれる年、また新しい執行部が選出される年は、経済成長率はなかなか下がらない。従って、今年の経済成長率は11%を下回ることはまずない。
A来年はオリンピック開催の年であり、国をあげて盛り上がる。このムードのもとでは、経済成長率もなかなか下がらない。来年も10%を下回ることが考えにくい。
*2010年上海万博開催以降、バブル崩壊の可能性も
来年の北京オリンピックの後、特に2010年の上海万博開催が終わってから、軟着陸か硬着陸かという選択に迫られる。硬着陸のシナリオ、つまりバブル崩壊もあり得るので要注意である。中国の不動産はここ数年2倍以上に急騰している。株式市場の株価は昨年1年間で130%急騰し、今年の8月末まででさらに倍増となった。つまり、2年間で約5倍の株価である。
中国の経済規模はまだ日本の6割だが、株式の時価総額は既に日本を上回っている。株式投資あるいは株式に関連ある人口数は何と3億人である。従って、将来的にバブルが崩壊し、個人投資者が大損を受ければ、これが社会不安定要素になる。中国のバブル経済の行方は、特に注意が必要である。
*爆食経済の行方
素材とエネルギーを必要以上に大量消費していることが爆食経済の意味である。例えば2005年、中国のGDPはわずか世界全体の5%にもかかわらず、エネルギー消費量は世界全体の15%、鋼材の消費量は30%、セメントは54%を占める。中国で1万jのGDPを創出するために使われたエネルギー消費量は、何と日本の6倍だそうだ。効率が悪く、爆食している。
中国の資源は乏しく、いまの爆食経済を長く続けることはできない。今のままで爆食型成長が続くならば、石油資源はあと14年で枯渇し、天然ガスの資源は32年で終了する。
中国は、日本や米国に比べれば、1人当たりエネルギー消費量はまだ低い水準に留まっている。日本の約4分の1、米国の約7分の1である。もし、日本並みの1人当たりエネルギー消費量の水準になれば、中国のエネルギー消費量は、いまの4倍になる。米国並みになれば7倍になる。そうなれば、世界のエネルギー資源全体を動員しても、中国一国の需要増を賄うことができない。そこで中国政府も危機感を持ち始め、昨年からは、爆食型成長から省エネルギー型成長、節約型成長に転換しようとしている。これは第11次5ヵ年計画の中心的な内容となっている。
*中国成長方式の転換によって日本企業の出番が増える
日本企業の省エネルギー技術は世界トップレベルの水準である。従って、省エネルギー、新エネルギー、環境ビジネスの三つの分野で日本企業の出番が来る。
いま日本の車は中国の消費者の中で人気が急上昇している。理由の一つは、日本車はデザイン・品質がいい、つまりブランドイメージが定着している。もう一つは、日本車は省エネルギータイプで燃費が節約できる。昨年、中国のガソリン価格が急騰し、日本車は欧米の車、韓国の車、中国国産の車より、省エネルギータイプなので人気が急上昇している。
特に乗用車分野では、中国の市場シェアの中で日本車はダントツの1位である。省エネルギー技術は自動車だけではなく、他産業分野にもあり、これから中国において日本企業の出番が増えると考える。
●3.中国の鉄鋼業の現状と見通し
*粗鋼の生産過剰のリスク
中国の粗鋼生産量は昨年既に4億2000万dに達した。世界全体のシェアで33.8%、世界最大規模である。4億2000万dとは、日本+米国+EU25ヵ国のトータルを上回る規模になる。
しかも、今年の予測では粗鋼生産量が5億d近くになる。建設中の鉄鋼案件が全部完成すれば、2010年中国粗鋼生産能力は6億d以上になる。ところが中国の2010年時点の粗鋼の内需は大体4億d強である。そうなれば2億dが生産過剰になる。2億dの生産過剰になれば輸出に回され、間違いなく貿易摩擦が多発する。この点は特に要注意である。
*輸出急増で「金へん摩擦」が主流へ
昨年の中国の鉄鋼輸出は既に4000万dを突破した。今年上半期は急増して、たぶん通年では1億d近くになる。現在、中国と諸外国との貿易摩擦は、主に繊維製品である。しかし、これからは糸へんから金ヘン摩擦に移行する。鉄鋼製品、または鉄鋼を原材料とする製品の摩擦が今後は貿易摩擦の主流になる可能性が極めて高い。
日本は、これまで世界最大の鉄鋼製品輸出国だったが、もし中国が粗鋼生産のうち2億dを輸出に回すなら、鉄鋼分野の日中間の衝突は避けられない。この点は、中国の生産過剰のリスクとして見落としてはいけない。
*はじまった中国鉄鋼業界の再編
中国の鉄鋼メーカーは乱立しており、中小企業がたくさんある。これからの中国鉄鋼業界の動きとしては統合・合併、再編が始まる。例えば上海の宝山製鉄所を中心とする鉄鋼メーカーの再編がいま行われている。中国鉄鋼メーカーの再編・統合・合併は避けられないし、特に中小メーカーや、効率が悪く、生産性が低く、環境汚染がひどい、エネルギー消費が高いといった企業は、中国政府の方針からしても、これから淘汰の対象となる。
*グローバルな再編の波と日本企業の対応
もう一つの動きとしては、グローバルな動きを見落としてはいけない。特に世界最大のメーカー、ミッタルによる敵対買収を含む買収も見逃してはいけない。これからは中国の鉄鋼業界との協力を視野に、世界の鉄鋼業界の再編にどう対応するかを考えなければならない。
●4.注目すべき中国経済の動向
*急速な都市化
中国の都市部人口は96年から毎年2000万人ずつ増え続けており、単純計算では5年ごとに1億人の都市部人口が増えている。中国では、都市部と農村部の所得格差は名目では3.5倍である。ところが、実質上は6倍である。毎年2000万人ずつ増え続けることは、ビジネスの観点から見れば意味合いが大きい。急ピッチな都市化のため住宅が必要となる。住宅を造るためには鉄鋼、セメント、他の建築材料も必要となり、新しい家電製品も必要である。つまり、新しいビジネスチャンスがたくさん増えてくる。都市部人口は昨年末時点で5億8000万人。おそらく2010年まではさらに7000万人前後増える。2010年前後で、都市部の人口と農村部の人口が逆転するという見通しである。
*中間層、富裕層の急増と貧富格差の拡大
中国の中間層、富裕層の概念は、日本円に換算すれば、年収100万円〜800万円が中間層。それ以上の年収がある人々が富裕層である。中間層は、いま中国の政府当局の話では8000万人以上、富裕層の人口を入れれば1億人弱になり、日本の総人口の9割ぐらいに相当する。
すでに述べたように、昨年、わずか1年間で、中国の新車販売台数は前の年に比べて約150万台の増加(新車販売台数は721万台)である。日本で新車販売台数の最高を記録したのは1990年、その年の販売台数は777万台(前年比52万台増)である。ところが、中国の昨年1年間の新車販売増加台数は、日本の最高の年の3倍弱である。その背景には、中間層や富裕層の急増がある。いま中国でマイカーを買える人たちは、まだ中間層と富裕層しかない。中間層や富裕層の急増は、日本企業にとっては大きなビジネスチャンスである。
その一方で、富裕層の急増によって貧富の格差も拡大している。貧富格差問題が、社会不安定要素になりかねない。富裕層の急増はビジネスチャンスにつながるが、一方で貧富の格差の拡大をビジネスリスクとして注意しなければならない。
●終わりに.少子高齢化時代の日本企業の進路
*「国内だけではもう飯が食えない」
現在、日本の産業分野のほとんどで国内市場は飽和状態となっている。自動車は絶好調であるが、これは海外市場の開拓によるものであり、国内販売台数はピークの時に比べて25%縮小している。これからは海外市場の開拓に注力しなければならない。
*アジアと中国の視点
日本の貿易構造も輸出構造も、いずれも大きくアジアと中国に依存している。日本にとって中国は、まだ米国に次ぐ2番目の輸出先であるが、2010年前後は米中逆転が起きる可能性が極めて高い。日本企業は引き続きアジアの市場、中国の市場の開拓に注力しなければならない。
*外国人材活用の視点
日本は、先進国の中では外国人材の活用が非常に遅れている。例えば、高度技能人材に占める外国人の割合は、OECD加盟国31ヵ国平均11%に対し、日本は0.7%で後ろから2番目である。これから少子高齢化時代を乗り切るためには外国人材の活用が不可欠である。
*「楊長避短」の戦略
企業としてどういう戦略が必要か。私の表現では「楊長避短」の戦略、長は長所すなわち強みのこと、短は短所で弱みを指す。自分の長所を活かして自分の弱点を回避する。そういう戦略が必要である。長所を活かすためには、優れた技術力、優れたブランド力を活用して、付加価値が高い新しい製品、新しい技術、新しい素材の創出に注力すべきである。また、弱点を回避するため、つまりコスト高や人口減少に伴う国内市場の縮小を是正するためには、アジア企業、中国企業との分業体制の構築が極めて大切である。