2005年4月、小泉首相の靖国参拝や日本の国連常任理事国入りに反対する中国の国民たちは、北京、上海、深?、広州など各地で大規模な反日デモを行った。11月に韓国の釜山で開かれたAPEC首脳会議では日中首脳会談はおろか、外相会談さえ実現できなかった。日中関係は国交樹立後、最悪の事態を迎えた。
一衣帯水の日中両国は益々乖離し、その深層底流にはいったい何があったのか。本稿はその真相を迫る。
日中乖離その深層底流(上)−相互接近の中国 相互乖離の日本−
●極東・東アジアに2つの潮流
極東・東アジアではいま、2つの潮流が並存している。
1つは相互接近の流れである。中韓連携、中印和解、中ロ接近、中国・ASEAN(東南アジア諸国連合)友好ム-ド演出はその象徴である。
2つ目は相互乖離の流れである。日中対立、日韓乖離、日朝敵対、日ロ停滞はその象徴と言える。
相互接近の流れの主役は中国であるのに対し、相互乖離の流れの主役は日本である。
まず相互接近の潮流に目を向けよう。周知のとおり、毛沢東時代の中国は「革命最優先」の政策を取り、近隣諸国との緊張関係が続いていた。1950年に朝鮮戦争、1960年に中国・インド国境戦争、1969年に中国・旧ソ連国境戦争、1979年に中国・ベトナム国境戦争など、大体10年ごとに隣国との戦争が起きていた。これらの戦争は正義か不正義かはともかくとして、近隣諸国から見れば、嘗ての中国は脅威であり、アジアの不安定要素であったことは確かだ。
ところが、ケ小平時代に入り、特に80年代以降、中国と隣国の間に戦争が一回も起きなかった。そればかりか、中国は近年、韓国、インド、ロシア、ベトナムなど昔の敵国と相次いで握手・和解し、戦略的なパ-トナシップまたは友好関係まで構築した。
●巨大市場の魅力と威力
中国が主役を演じる「相互接近」の流れの背景にはいったい何があったか。
最も重要な要素が2つあると思われる。1つ目は中国の路線転換である。
改革・開放後、中国は、毛沢東の「革命最優先」路線から「経済成長最優先」路線へという路線転換を断行した。経済成長に専念するためには、平和的な国際環境が不可欠である。そのため、中国政府は平和的な環境作りに腐心し、周辺諸国との関係改善に積極的に乗り出した。路線転換によって、中国は主導的な役割を果たし、周辺諸国との相互接近の流れを作った。
2つ目は中国の巨大市場の魅力と威力である。急速に巨大化する中国市場は世界各国にとって魅力的な存在となり、恩恵を受けた周辺諸国も巨大マ-ケットの誘惑に拒絶せず、積極的に相互接近の流れに乗ったことも事実である。
2000-04年ASEAN、韓国、インド、ロシアの対中貿易・輸出の急増ぶりを見れば、中国市場の魅力と威力はいかに大きいか、またなぜ中韓連携、中ロ接近、中印和解、中国・ASEAN友好ム-ド演出ができたかがわかる。
一方、2000-04年ASEAN、韓国、インド、ロシアの対日貿易・輸出を中国と比較すれば、日本市場の魅力の無さも明らかである。
●中国・ASEAN友好ム-ド演出の背景
まず中国・ASEANの貿易を見よう。中国の税関統計によれば、過去5年間、中国・ASEANの貿易額は395億ドルから1059億ドルへと2.7倍、ASEAN からの対中輸出額も222億ドルから630億ドルへと2.8倍になった。
一方、日本財務省の貿易統計によれば、同期ASEANと日本の貿易額は1281億ドルから1404億ドルへと9.6%増、対日輸出額は595億ドルから675億ドルへと13.3%増にとどまった。
現時点では、ASEANの対日貿易も対日輸出も対中国を上回っているが、仮に過去5年間の伸び率実績をべ-スに試算すれば、2006年に輸出の日中逆転、2010年までに貿易の日中逆転が起きる確率が高い。
こうした活発な経済交流を背景に、中国とASEANの政治的な友好関係も深まっている。例えば、昔の国境戦争の相手であるベトナムとの間で、話し合いによって国境問題が解決され、友好再構築に成功した。
南沙諸島の領有権をめぐって、中国は嘗てフィリピンやベトナムと争ってきたが、今年4月、フィリピンを訪問した胡錦涛国家主席はアロヨ大統領と会談し、両国間の「戦略的なパ-トナ-シップ関係の構築」に合意したほか、南シナ海の南沙諸島などの領有権問題を「棚上げ」して、南沙諸島や西沙諸島の海域で、ベトナムを加えた3カ国の石油会社による合同海底調査の早期実施、海底油田の共同開発を目指すことでも一致した。
また、ASEANとの自由貿易協定(FTA)交渉も、ASEANとの友好条約締結もいずれも中国は日本より先行した形となっている。
ちなみに、今年7月26日、ASEAN外相会議は声明を突如発表し、日本など4カ国グループ(G4)が提出した国連安全保障理事会拡大案を「拙速」と批判した。ASEAN側は日本の常任理事国入りの阻止を図っている中国の主張と軌を一にするだけで、中国に最大の配慮を示した格好となった。
●「日本に冷淡、中国に接近」の韓国
次は目線を韓国にシフトしよう。ここ10年、韓国の対中国依存度は急速に拡大している。
韓国側の統計によれば、1995年、韓国の対中輸出は僅か91億ドルであり、輸出の対中依存度は7.3%、GDPの対中依存度(対中輸出がGDPに占める割合)は2.7%に過ぎなかった。
ところが、2000年韓国の対中輸出は185億ドル(中国側の統計は232億ドル)へと倍増し、輸出とGDPの対中依存度はそれぞれ10.7%、3.6%に上昇した。2004年の対中輸出は更に498億ドル(中国側の統計は622億ドル)へと2.7倍に拡大し、輸出とGDPの対中依存度もそれぞれ19.6%、7.3%にのぼった。
もし香港向けの輸出を加算すれば、2004年韓国の輸出とGDPの対中依存度もそれぞれ26.7%、10%に達し、日本の8.5%と3.2%、米国の16.9%と6.3%を大幅に上回った。
また、04年は韓国の香港を含む中国向け貿易黒字は351億ドルとなり、韓国全体の貿易黒字294億ドルを遥かに超えている。言い換えれば、中国向けの貿易黒字がなければ、韓国の貿易収支は57億ドルの赤字になる筈であった。
一方、2004年韓国の対外直接投資は421億ドルにのぼり、そのうち中国(香港を含む)向けは114億ドルで、米国の110億ドル、日本の10億ドルを上回る。
要するに、韓国にとって中国は最大の貿易相手国、最大の輸出先と直接投資先である。中国市場を抜きにしては韓国経済が成り立たないことは争えぬ事実となっている。
韓国の駐中国大使・金夏中氏によれば、盛んな経済交流を背景に、韓国ではいま「漢風(中国)ブ-ム」が起き、2004年中国行き韓国人観光客は280万人にのぼり、日本行きの2倍、米国行きの4倍となっている。また、在中国外国人留学生7万7000人のうち、3万5000人が韓国人であり、全体の45.5%を占める。
漢風(中国)ブ-ムと対照的に、韓国の日本離れ現象が目立つ。今年3月、韓国で世論調査が実施され、日米中のうち一番好きな国を聞いたところ、中国が一位となり、米国を抜いた。逆に日本は一番嫌われる国となった。今年6月10日に発表された、「読売新聞」と韓国の「韓国日報」による共同世論調査の結果によれば、59%の日本人が韓国を信頼しているのに対し、90%の韓国人が日本を信頼せず、「日本離れ」が加速している。
こうした「日本離れ」現象の背景には、「歴史問題」「領土(竹島)問題」の壁があるのは確かだが、それだけではない。現実的要素として、中国市場の魅力の増大と日本市場の魅力の減退は大きいと思われる。
2000-04年韓国の対中貿易額は345億ドルから900億ドル(中国側統計、以下同)へと2.6倍に、対中輸出額は232億ドルから622億ドルへと2.7倍に拡大したのに対し、対日本の貿易額は512億ドルから663億ドル(日本側統計、以下同)へと僅か29.5%増、韓国の対日輸出額は204億ドルから220億ドルへと僅か7.8%増にとどまった。日本市場の魅力の無さが浮き彫りになっている。
●変貌する中印関係
インドに目を向けよう。昔、敵対関係にあった中国とインド2大国は近年、急ピッチで関係を改善している。05年4月、中国各地で大規模な反日デモが起きていた最中、中国の温家宝首相はインドを訪問し、シン首相とのトップ会談を通じ、両国の「戦略的なパ-トナ-シップ構築」を盛り込んだ共同宣言を発表し、話し合いによる国境問題の早期解決にも合意した。
温首相の訪印に先立って、日本政府の高官がインドを訪問したが、その際、インドの貿易担当大臣に「日本は口だけではインドとの経済交流に熱心だが、行動では中国の方は遥かに熱心だ」と厳しく言われたという。
ここ5年間の中印、日印貿易およびインドの対中、対日輸出を比較すれば、中印和解もインド側の日本に対する不満もわからない訳ではない。
IMF資料によれば、2000年、中(香港を除く、以下同)印貿易額22億ドルに対し、日印貿易額は37.8億ドルにのぼった。ところが2002年に日中逆転が起き、中印貿易(43億ドル)は日印貿易(36.9億ドル)を上回り、04年に中印貿易はさらに102.5億ドルに達し、日印貿易(48億ドル)の2倍強に相当する。
言い換えれば、過去5年間、中印貿易は4.7倍拡大したのに対し、日印貿易は僅か27.8%増にとどまった。また、インドの対中輸出額は2000年の7.6億ドルから04年の41.8億ドルへと5.5倍拡大したのに対し、対日輸出額は僅か8.1%増にとどまった(日本の統計では円ベ-スで17億円の減少だった)。日中の格差が一目瞭然である。
現在、日本国内ではインドとの経済交流拡大の機運が高まっているが、重要なのは議論にとどまらず投資、貿易など実際の行動に移すことである。さもなければ、日本はインドに見捨てられる。
●ロシアの石油パイプラインは中国優先へ
最後はロシアである。中国の統計によれば、2000-04年中国・ロシアの貿易額は80億ドルから212億ドルへと2.7倍、ロシアの対中輸出額は58億ドルから121億ドルへと2.1倍に拡大した。
盛んな経済交流と同時に、中ロ首脳の相互訪問は頻繁に行われ、両国の「戦略的なパ-トナ-シップ関係」を深めている。04年、長年の懸案だった中ロ国境問題も話し合いによって相互妥協して円満に解決した。05年7月1日、ロシア訪問中の胡錦濤・中国国家主席はプーチン大統領と会談し、国連中心主義を柱とした「21世紀の国際秩序に関する共同宣言」に調印した。米一極化の傾向を強めるブッシュ政権と一線を画す立場を内外に表明した。さらに05年8月18日に、中国とロシアはウラジオストクや山東半島周辺で初の合同軍事演習を行った。
一方、日本の貿易統計によれば、2000-04年日本との貿易額は52億ドルから88億ドルへと72%増、ロシアの対日輸出額は46億ドルから57億ドルへと24%増にとどまり、急増する中ロ貿易に比べ遜色が目立つ。
シベリアの石油を極東に送るロシアパイプラインの建設をめぐって日中は激しく競争してきたが、中国は旺盛な国内需要という市場カ-ドを切り、ロシア側に猛烈な外交攻勢を展開した結果、日本が提案する太平洋ル-トに赤信号がともっている。
05年7月8日、英国で開かれた主要国首脳会議(サミット)に出席したロシアのプーチン大統領は終了後の記者会見で、シベリア原油のパイプライン計画について、日本が求める太平洋沿岸までのルート建設は、東シベリアの新たな油田開発が前提とし、西シベリアの既存原油を中国に送るルート建設を優先する方針を明言した。西シベリアの既存原油を獲得するために巨額のパイプライン建設資金を提供し、日ロ関係を大幅に改善し、北方領土問題解決の糸口を探ろうとした日本の戦略は破たんが明確になった。
●相互接近の底流に「経熱」があり
日中両国とASEAN、韓国、インド、ロシアなど4カ国・地域の貿易を比較すれば、次の3つの特徴が浮き彫りになる。
1つ目は伸び率で言えば、上記4カ国・地域は貿易も輸出も対中大幅増、対日小幅増となっている。
2つ目は貿易収支において、上記4カ国・地域は中国に対しいずれも黒字を出しているが、対日貿易はロシアを除いて全部赤字である。
3つ目は規模から見れば、ASEANを除く3カ国の対中貿易も対中輸出も対日を遥かに上回っている。
要するに、周辺諸国は中国市場の巨大化から恩恵を受けていることが明らかになり、中国の魅力の増大と日本の魅力の減退が鮮明になっている。中国が主役を演じる「相互接近」という潮流の底流には正にこうした「経熱」があるのである。中国と4カ国・地域の間の「経熱」は結果的に「政熱」をもたらしており、「政冷経熱」の日中関係とは好対照となっている。
予測によれば、早ければ06年、遅くても07年から日本の総人口は減少傾向に入る。総人口の減少によって国内市場の縮小が避けられず、マ-ケットとしての日本の魅力はさらに減退する恐れがある。人口減少、市場縮小の日本にとって、周辺諸国に対し影響力と存在感をどう保持するかが大きな課題となる。
日中乖離その深層底流(中)−問われる日本のアジア外交−
●「かつてない孤立」日本
次は相互乖離の流れを述べる。
05年8月17日、フランスの新聞『ルモンド』は、「孤立する日本」を題とする社説を掲載し、「敗戦から60年を経て日本はアジア地域でかつてないほど孤立している」と指摘した。「日本の孤立と、外交の手痛い敗北」を示す象徴的な事例として、中国と韓国が日本の国連常任理事国入りに反対していることが挙げられた。日本の急所が突かれた鋭い指摘であった。
『朝日新聞』も「四面楚歌」という言葉で日本の外交を形容していたが、日中対立、日韓乖離、日朝敵対、日ロ停滞の現状を見れば、決して大袈裟の表現とは言えない。
戦後60年を迎える現在、日本の外交、特にアジア外交は本当に間違っていないかどうかが問われている。
●日中対立の深層底流に2つの「政経乖離」
相互乖離の潮流の典型は日中対立である。
05年4月に中国各地で大規模な反日デモが相次いで起きた。同年5月、来日中の呉儀副首相は予定した小泉首相との会談を土壇場でキャンセルした。日中関係は2001年8月小泉首相の靖国神社参拝をきっかけに急速に冷え込み、1972年国交樹立以来の最悪の状態に陥っている。
一衣帯水の近隣にもかかわらず、日中両国は益々乖離するという厳しい現実の深層底流にはいったい何が起きたか。
日中対立には、靖国参拝問題、歴史教科書問題など「歴史」に絡む重要な要素があるのは確かだ。しかし、歴史要素だけではない。現実要素もある。日本の「政経乖離」と中国の「政経乖離」は最も重要な現実要素ではないかと思う。
日本の「政経乖離」とは、「脱米入亜」した経済と「脱亜入米」している政治とのねじれ現象をいう。中国の「政経乖離」とは、進む経済改革と進まぬ政治改革のねじれ現象を指す。
●「脱米入亜」経済と「脱亜入米」政治
まず日本の「脱米入亜」した経済と「脱亜入米」している政治とのねじれ現象に焦点を当てる。
戦後、日本の政治・外交政策も経済・貿易構造もすべて米国を中心としてきた。特に日本の輸出構造の米国依存が際立つものだった。1958-73年は正に日本の高度成長期にあり、対米輸出が一貫して首位の座にあった。比率では全体の3、4割まで占めていた。こうした対米依存の貿易構造は高度成長を支える最も重要な外部要素と言える。
この時期は日米安保体制の確立期でもあり、対米依存の貿易構造は日米政治・軍事同盟を支える経済基盤ともなった。
そしてこの対米依存の輸出構造は第1次、第2次のオイルショックの時を除いて、1990年代初頭まで維持されてきたのである。
1980年に西ドイツのシュミット首相が来日した時、日本の対米輸出が輸出全体の3-4割を占めるのを知って、「だから日本はアメリカにしか友人ができないのだ。ここに日本の弱点がある」と語った(中村正則著『戦後史』94-95頁)。この貿易構造と日米安保体制が続く限り、軍事・外交・経済面における対米追随・依存の仕組みや構造は変えようないのである。
ところが、冷戦終結後、特に21世紀に入ってから、日本の貿易構造は大きく変わり、アメリカ中心からアジア中心、特に中国中心に変わった。象徴的な出来事は2004年に起きた米中逆転である。
2004年、中国(香港を含む、以下同)は20.1%のシェアで米国の18.5%を凌ぎ日本の最大の貿易相手国となった。韓国(6.4%)などを含むと、アジア全体のシェアは46.9%にのぼり、米国の2.5倍になる。
日本の輸出構造も中国(19.3%)プラス韓国(7.8%)は27.1%で米国の22.5%を大きく上回っている。アジア全体では48%を占め、米国の2倍強に相当する。
いまの日本の経済・貿易構造はアジア、特に中国・韓国に依存していることは明らかである。言い換えれば、日本の経済・貿易構造は既に「脱米入亜」した。
しかし、経済・貿易構造は大きく変わったにもかかわらず、日本の政治構造・外交政策は旧態依然のアメリカ中心である。それどころか、2001年小泉政権が誕生してからは、益々アメリカの言いなりになる「アメリカ一辺倒」を深めた。
すなわち、日本の経済は「脱米入亜」したのに対し、政治は「脱亜入米」している。こうした「政経乖離」は正に人間の「頭」と「身体」が捩れているようである。長期的に見れば、「政経乖離」を是正しなければ日本経済は持たないと思う。
また、「政経乖離」の結果、シュミット元独首相が指摘した「アメリカにしか友人ができない」状態が続き、日本はアジアにおいて「隣人あれども友人なし」という寂しくて悲しい局面に陥っている。
●なぜ国連安保理入り戦略は挫折したか
「隣人あれども友人なし」の象徴的な出来事は、日本の国連安保理入り戦略の挫折である。
戦後60年を経て、世界第2位の経済大国に成長してきた日本が国連安保理入りを目指すことは、ほかの国も理解できる。問題は、中国、韓国などアジア諸国を味方にせず「敵」に回す日本の戦略の危うさにある。
念願の国連安保理入りを実現するために、日本は相継いで2つの戦略を取ってきた。1つは「バスケット戦略」である。つまり、日本は単独提案の形を取らずに、日本と同じように国連安保理入りを目指すドイツ、インド、ブラジル3カ国と共同で国連安保理改革案(G4案)を提出する。2つ目は「遠交近攻」戦略である。即ち、日本はあえて中国、韓国など近隣諸国を刺激し、アフリカ連合(AU、53国)との国連安保理改革案一本化を図る。
実は2つの戦略の裏には、日本がアジア諸国に信頼されないという厳しい現実がある。「バスケット戦略」も「遠交近攻」戦略も、アジア諸国の信頼を得られないままの見切り発車と言わざるを得ない。
そもそも国連の原点は日独など敗戦国に対する「戦勝国連合」にある。国連憲章には今も日独に関する「敵国条項」が残っている。戦後、ドイツは過去の侵略戦争を徹底的に清算し、誠心誠意にヒトラ・ナチスの戦争犯罪を詫びると同時に、金銭的な補償も行った。その結果、フランスとの和解が実現し、欧州諸国の信頼を得ている。ドイツはEUの中心的なメンバ−にもなっていることは、過去の清算を徹底させた結果とも言える。
一方、ドイツに比べ、日本は過去の過ちに対する反省も清算も不十分であり、誠意も欠けていると、アジア諸国は見ている。その象徴は靖国問題である。
周知の通り、日本はサンフランシスコ講和条約第11条で、東京裁判の判決を受け入れた。総理大臣の立場にある日本の最高責任者が、東条英機らA級戦犯も祀る靖国神社を参拝すれば、中国、韓国など日本の侵略と植民地支配の犠牲となったアジア諸国が怒るのは容易に想像できる。なぜ加害国の指導者がわざわざ相手の神経を逆撫でするような行動を取るかは、被害国の人々にとっては理解に苦しむ。小泉首相の靖国参拝によって、日本の指導者たちが繰り返して表明した過去の侵略と植民地支配に対する「お詫びと深い反省」の誠意が疑われた。
要するに、アジア諸国に信頼されないまま、日本は見切り発車で強引に国連安保理入りを推進してきた。その結果、日本などが提出したG4案に対し、アジアでは賛意を示したのはアフガニスタン、ブータン、モルティブなど3カ国だけである。韓国などコンセンサスグル−プに反対されるのみならず、米、中、ロシアなど国連常任理事国も反対を表明した。日本の「バスケット戦略」は挫折した。
窮地に追い込まれた日本はその後、「遠交近攻」戦略を展開した。外務省首脳をはじめ政府高官はアフリカ連合(AU)との国連安保理改革案一本化に奔走する一方、常任理事国の中国に対し、牽制的・刺激的な発言も目立った。AUを説得するために、町村外務大臣(当時)は7月27日にラオスの首都ビエンチャンで行われたASEANプラス3の外相会議にあえて欠席し、逢沢一郎外務副大臣(当時)を出席させた。日本の外務大臣はASEANプラス3の外相会議に欠席したのは、同会議発足以来、初めてのことであった。
「アジア軽視」と批判された日本のこの行動は更にASEANの反感・反発を招いた。同月26日、日本側には事前に何の連絡もせずに、ASEAN側は声明を発表した。声明は「国連安保理の拡大をめぐる議論は国連の包括的な改革に影を落としている。加盟国に二者択一を迫ることを懸念する」と不満を表明し、「国連改革は非常に重要な作業であり、早急には態度を決められない」と、日本などが提出したG4案を「拙速」と批判し事実上拒否した。
一方、アフリカ連合は内部調整が不調に終ったため、G4との共同決議案策定を見送ることを決定した。「AUの結論は、日本がアジアに加え、アフリカ諸国からも見放されつつあることを浮き彫りにした」(『琉球新報』社説)。日本の「遠交近攻」戦略も破たんした。
日本の国連安保理入りの戦略はなぜ挫折したか。結論から言えば、国際社会、特にアジア諸国の信頼を得ていないからだ。もし日本は国際社会で揺るぎない厚い信頼があれば、安保理拡大の問題は違った展開になったかも知れない。
日本にとって、中国、韓国などアジアの国々に信頼されることが、世界に信頼される第1歩である。「今後はカネで票を買うような外交姿勢を改め、信頼される国になって、国際社会で名誉ある地位を占める」(前出)ことは、日本が選ぶべき戦略であり、歩むべき「王道」でもある。
日中乖離その深層底流(下)−問われる中国の反日感情と日中関係の行方−
次は中国の「政経乖離」および反日感情に焦点を当て分析を進める。
●進む経済改革と進まぬ政治改革のズレ
実際、中国にも「政経乖離」が起きている。経済改革は進んでいるが、政治改革は1989年天安門事件以降、あまり進んでおらず、政治と経済のズレが生じている。「社会主義市場経済」の下で、国民は経済活動の自由があるが、言論・集会など政治の自由が未だに厳しく制限されている。
ここ数年、経済の高度成長が続く一方、沿海部と内陸部の地域格差、都市部と農村部の経済格差、富裕層と貧困層の所得格差が拡大しており、内陸部、農村部、貧困層、失業者の不平・不満が貯まっている。しかし、政治の自由が厳しく規制されるため、国民の不満が貯まっても捌け口がない。
2005年4月に起きた大規模な反日デモは「愛国無罪」のスロ-ガンの下で、国民が溜まっている不満のはけ口となった。この不満は、主に「親米反中」の小泉政権に対するものであることは事実だが、不満の一部は中国政府にも向けられるものと見られる。例えば、政治・集会の自由や報道自由に対する政府規制への不満、貧富格差の拡大に対する不満などである。
外向けの不満(国民の反日感情)と内なる不満の合流は、今回の大規模な反日デモを作ったのである。
長期的に見れば、中国も経済改革と政治改革の乖離を是正しなければ、経済成長の挫折が避けられない。実際、70年代末改革・開放政策実行以降これまで、中国は経済成長の挫折を3回も経験した。1981年、86年、89年である。いずれも政治民主化の壁にぶつかった結果である。経済問題だけで成長挫折のケ−スは一度もなかった。この意味では、政治民主化問題は中国の経済成長に横たわる最大の壁と言えよう。「政経乖離」をどう是正するかは中国の経済成長の行方を左右する重要なポイントになる。
●問われる中国の反日感情
2004年7、8月にサッカ-アジアカップ開催中に起きた中国人サポ-タ-たちの「嫌日ブ-イング」行動、05年4月に中国各地で起きた大規模な反日デモに示した通り、日本に対する中国の国民感情が急速に悪化している。
中国は日本の侵略戦争の被害国であり、国民たちの辛い戦争経験が記憶から簡単に消えないことは事実である。例えば、04年「嫌日ブーイング」が最も激しく起きた重慶は、日中戦争の時、日本軍の激しい空爆を受けた所であり、地元の住民たちには今も、日本軍国主義を憎む感情が残っている。
歴史問題に加えて、近年の小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題、旧日本軍が残留した毒ガス爆弾事件、小泉政権の「親米反中」政策などの「現実問題」もあって、中国の国民感情はさらに悪化している。
しかし、「反日」感情といっても、スポーツを政治と混同させたり、国際条約で保護されている外国大使館・領事館に対し投石など破壊活動を行なったりしてはいけない。
ナショナリズムはどこの国でもあるものである。しかし、ナショナリズムは「開かれたナショナリズム」と「閉ざされたナショナリズム」に区別され、前者は健全たるものであり、後者は偏ったものである。
中国人サポーターたちの「嫌日ブ-イング」行動や反日デモの日本大使館・領事館への投石行動は、「開かれたナショナリズム」とは程遠く、「閉ざされたナショナリズム」と言わざるをえない。これは中国にとって百害あっても一利がないものであり、08年北京オリンピック開催、10年上海万博開催にもマイナス影響を及ぼしかねない。
近年、中国の高度成長が続き、経済大国のイメージが世界各国に浸透している。これまでの経験によれば、ひとつの新興大国の台頭に伴い、周辺諸国への衝撃は避けられず、国際摩擦も多発する。従って、いかに国際摩擦をできるだけ回避し、平和的に台頭していくかが新興大国の最重要課題ともいえる。
03年、中国政府はこれまでの国際経験を参考に、「平和的台頭」を国策として位置づけた。これは正しい選択と思われる。しかし、「閉ざされたナショナリズム」は、中国の「平和的台頭」という大目標の実現の妨げとなっており、他国との摩擦を多発させる結果をもたらしかねない。「平和的台頭」を目指す中国政府も国民も「閉ざされたナショナリズム」の危うさを直視しなければならない。
●「付かず離れず」政治関係は続く
日中間の熱い経済交流と対照的に、冷たい政治関係が目立っている。ここ4年間、日中政府首脳の相互訪問が途絶えていることは、冷たい政治関係の象徴とも言える。隣人同士としては極めて不自然な状態と言わざるをえない。
冷たい政治関係の背景には日中間の強い相互不信がある。小泉純一郎首相の靖国神社参拝、尖閣諸島の領有権をめぐる紛争、東シナ海の海底石油資源をめぐる摩擦、中国潜水艦の日本領海侵入、日米安保の台湾海峡への拡大などは、歴史問題に加えて、日中間の相互不信をさらに増幅させた結果となっている。
日中首脳間の相互不信はいま、両国の国民に広く広がっている。03年チチハルで起きた旧日本軍毒ガス爆弾事件、珠海の日本人集団買春事件、西安の日本人留学生・寸劇事件、トヨタの謝罪広告事件、04年嫌日ブ−イング行動、05年大規模の反日デモに示すように、中国国民の対日感情が悪化しており、発火点が低くなっている。一方、日本国内の「嫌中感情」も広がっている。
日本の非営利組織「言論NPO」と、中国英字紙チャイナ・デーリー、北京大学が05年8月23日に日中共同で実施した世論調査の結果を発表した。それによると、日本に対し「良くない印象を持っている」、「あまり良くない印象を持っている」と答えた中国人は62.9%にのぼる一方、中国に対し「良くない印象を持っている」、「あまり良くない印象を持っている」と答えた日本人も37.9%に達していることがわかった。一衣帯水の日中は益々乖離することは、非常に憂慮すべき動きである。
ただし、日中関係がこれ以上悪化するシナリオは考えにくい。確かに「日中衝突が避けられない」という悲観論があるが、著者はその可能性が極めて低いと見ている。軍事衝突は日本の「平和主義」立国理念と中国の「平和的台頭」国策に合致せず、両国の国益を大きく損ねるからである。摩擦があっても、軍事衝突という共倒れの最悪の事態を、日中は極力に避けようとするだろう。
確かに小泉内閣の下では日中関係の改善は難しいかも知れない。しかし、近い将来、改善に転じる可能性は十分にある。ただし、日中関係が改善されても、1970、80年代の友好ム-ドの再現が難しい。時代が変わったからである。
よく知られたとおり、日中国交樹立とその後の友好ム-ドの背景には、旧ソ連を共通の敵とした米中連携・蜜月という歴史のうねりがあった。だが、冷戦終結後、旧ソ連が崩壊し、米中関係の蜜月も終わった。特に、ブッシュ政権誕生後、中国を「潜在的な競争相手」とする動きが顕在化している。日米同盟強化の狙いの1つは、正に台頭する中国への牽制である。
従って、米中関係の抜本的な改善および日本の「脱亜入米」政治の是正がない限り、日中友好ム-ドの再現はあり得ないと見ていい。結局、日中間の「付かず離れず」政治関係は当面続くという結論に至るだろう。
●相互依存の経済関係は変わるか
それでは日中経済関係はこれから変わるだろうか。
現在、日中経済は互いにビルトインされ、相互依存、相互補完の関係を深めている。
日本にとって、中国は最大の貿易相手国であり、米国に次ぐ2番目の輸出市場である。前にも述べたように、中国市場を抜きにして、日本の産業発展も景気動向も語れない。
一方、中国にとって、日本は3番目の貿易相手国と3番目の直接投資国である。日本の資本、技術、経営ノウハウは、これまでの中国の経済成長を支えてきた重要な要素の1つでもある。現在、中国に進出している日系企業は2万社以上あり、日系企業で働いている中国人従業員は200万人を超えている。日本要素を外せば、中国の安定的な経済成長も難しい。
現実的に見れば、日中間の相互依存・補完関係は今後大きく変わることが考えにくい。
ただし、流れとしては日本経済の対中依存度は益々高まり、中国経済の対日依存度は益々低下する傾向にあり、両国の力関係に微妙な変化が起きていることも事実である。
まず日本の対中依存度の推移を見よう。10年前の1995年に比べれば、2004年日本の対中(香港を除く)輸出依存度(対中輸出が総輸出に占める割合)は4.7%から13.1% へと2.8倍に、対中GDP依存度(対中輸出がGDPに占める割合)は 0.4%から1.5% へと3.7倍に拡大した。
日本における中国のプレゼンスの向上と対照的に、中国における日本のプレゼンスが相対的に低下している。1995-04年中国の対日輸出依存度は17.8%から12.4%へと3 割減少し、 対日GDP依存度は4%から4.5%へと微増にとどまった。
日本のプレゼンスの低下は中国の貿易相手国の順位の変化にも裏付けられている。中国の税関統計によれば、2004年中国の輸出入合計は前年比35.7%増の1兆1548億ドルにのぼり、貿易相手国のうちEUが1位(1773億ドル、33.6%増)に浮上、米国は2位(1696億ドル、34.3%増)へ躍進、これまでずっとトップの座をキープしてきた日本は3位(1679億ドル、25.7%増)へ転落。05年1-10月、EU24.1%増の1763億ドル、米国26.2%増の1723億ドル、日本10.4%増の1499億ドルで、順位は変わらなかったものの、日本とEU、米国の開きは拡大した。日中間の「政冷経熱」を打開しなければ、政治関係の冷却が経済関係を冷やし、中国における日本の存在感と影響力は更に低下する恐れがある。