【中国経済レポ−ト】
胡錦涛体制が抱える「喜憂並存」
沈 才彬
《中央公論》2002年11月号
13年前「天安門事件」直後の江沢民体制の発足と違い、今回のトップ交代は混乱なくスムーズに行われるとは一般的に見られている。今秋に発足予定の胡錦涛新体制は、高度成長の持続、産学連携の進行、幹部の若返り、欧米留学組の台頭など数多くのエコノミックパワーを持つ一方、WTO加盟の衝撃、農民の収入減・負担増による離反・造反、雇用の悪化、腐敗の蔓延、金融リスクの増大、政治民主化の圧力など江沢民時代とは違った新たな問題が出て来、難しい対応に迫られることも予想される。新体制の前に横たわる道は決して平坦なものではない。
このレポートは、胡錦涛新体制が抱える「喜憂並存」の実態を具体的に検証する。
益々頭角を現す「6080幹部」
江沢民体制と比べれば、胡錦涛(59歳)新体制の年齢上の優勢は明らかである。間もなく発足する胡新執行部(党中央常務委員)の平均年齢は現執行部(平均70歳)より一気に10歳ぐらい若くなり、老人支配と訣別する見通しである。これを受けて各官庁と地方政府も中央執行部と歩調を合わせ、能力・実績・高学歴を持つ若い幹部の選抜を急いでいる。選抜の対象は60年代に生まれ、80年代に大学を出るという「6080幹部」、即ち40歳以下の若手幹部に重点を置く。
中央政府の人事部門は各地方政府へ通達を出し、中央官庁の処(課に相当)に相当する政府部門の指導グループ構成メンバーに少なくとも2人の40歳以下の若手幹部を、局に相当する政府部門の指導グループに少なくとも1〜2人、中央各官庁および各省・直轄市・自治区の指導グループに少なくとも1人を選抜するよう、具体的な数字目標を掲げている。今後、中央と地方政府および大学の指導層、企業の経営層において、「6080幹部」が一層頭角を現すことは間違いない。
幹部人事制度への競争メカニズムも導入している。たとえば、広東省は3年前から幹部公募制(公募の対象は各市の副市長、省政府の副局長、大学の副学長)を導入し、有能な若者に本領発揮の場を提供し、産・官・学の活性化と効率化がもたらされている。ここ数年、広東省の経済的ダイナミズムが目立ち、改革遂行、経済成長率、貿易、外資導入などの分野においていずれも全国をリードし、幹部公募制の導入に負うところが実に大きい。
急ピッチで進行する中国の産官学幹部の若返りに比べ、日本政官財界の人材枯渇と経営者の高齢化が目立つ。この前、ある日本経済界ミッションが中国を訪問した際、会見に出た中国政府要人や企業経営者には30歳代、40歳代の若手が多い。これに対し、日本側の複数の団長・副団長のうち、66歳の大手企業の会長が最年少だった。爺さんと孫さんのような会談風景は日本の関係者に強烈な印象を与えた。
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「バナナ族」(欧米留学組)の台頭
広東省幹部公募の面接合格者のうち、「バナナ族」(中国人の顔をして欧米人の意識をもつ人たちのこと)と呼ばれる欧米留学経験者が多い。
ここ数年、中国では「バナナ族」の台頭が目立つ。改革・開放策実行以降の20年間、中国から40万人を超える留学生が米日欧など先進諸国に流れ込み、約3分の1に相当する14万人が「頭脳回帰」となった。
例えば、2000年までに海外から「中国のシリコンバレー」といわれる北京市中関村ハイテクパークに戻ってきた留学経験者は約2000人で、そのうちの50%は2000年1年間に帰国したものであり、60%はPh.D取得者である。
頭脳回帰の多くは帰国後、政府や企業の要職につき、大きな役割を果たしている。特に欧米留学経験者の活躍は際立つ。例えば、PC最大手である聯想集団公司の楊元慶総裁兼CEOはイギリス留学経験者、北京大学のIT先端企業・「北大方正」の閔維方前会長(現北京大学党書記)とソフトウェア大手の東方軟件の劉積仁会長およびネット企業大手・捜狐(Sohu.com)の張朝陽CEOはいずれも米国留学経験者である。彼らの欧米流の経営理念と経営手法は従来型と違い、全く斬新なもので欧米企業の経営者と大きな違いがない。
今年1月、中国国務院発展研究センターと米国ハーバード大学行政大学院(ケネディ・スクール)は、向こう5年間にわたり45歳以下、局長クラスの中国中央官庁と地方政府幹部300人を同大学に留学させることで合意した。今後、若い「バナナ族」は産官学のキ−パ−ソンとなり、益々中国を変えていくことは確かだ。日本も彼らと付き合っていく基盤を早急に作らなければならない。
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日本より先を行く産学連携
胡錦涛新体制が江沢民体制から受け継ぐ貴重な財産の一つは産学連携である。現場調査を重ねてきた私が得たイメージから言えば、産学連携分野では米国は先進国、中国は中進国、日本は途上国と言ってよい。中国には日本ではあまり見られないグローバルな頭脳集積が進み、従来のビジネスモデルと違う産学連携型成功モデルは数多く存在しているからだ。
中国では大学から生まれた企業を「校弁企業」という。2001年現在、大学から生まれた企業は合計5000社、年間売り上げは500億元以上(8000億円に相当)に達する。もし、中国科学院のような研究機関から生まれたベンチャー企業を計上すれば、産学連携型企業数は約6000社になり、年間売り上げは1000億元を上回る。そのうちの5分の1に相当する1000社以上は中関村ハイテクパークに集中しており、売り上げ全体の80%に相当する約800億元を創出している。例えば、中国科学院系の聯想集団公司の売り上げは329億元、北京大学系の北大方正は116億元、清華大学系の清華同方は52億元をそれぞれ占める。ちなみに、昨年末時点で、日本の大学から生まれたベンチャー企業は合計263社で、中国に比べれば桁が違う。
北京市中関村地域は中国の産学連携の最大拠点である。同地域周辺には北京大学、清華大学をはじめ68の大学と中国科学院など213の研究機関があり、IT専門家をはじめ各分野の技術者40万人が集まっている。一方、米国のIBM、インテル、マイクロソフト、モトローラ、ヒューレット・バッカード(HP)、フィンランドのノキア、日本の松下電器、富士通などIT大手企業は既に同パークにR&Dセンターを設立し、世界的な頭脳集積が進んでいる。
アメリカのシリコンバレーでは、大学教授は学生が持つアイディアを実際のビジネスに直結させる役割を果たすだけでなく、自らがハイテク企業の社外重役になってビジネスの最前線に立つことも多い。大学、起業家、コーディネーター三者がそれぞれ役割を分担するのは一般的であり、大学が直接にハイテク企業を運営する例があまり見られない。しかし、中国には「産学連携」の仕組みをとり「大学」「起業家」「コーディネーター」という三者の役割を一元化した新しいビジネスモデルが数多く存在している。
その代表的なものが聯想、北大方正、清華同方などである。これらの企業はいずれも大学や国の研究機関を母体とし、現在でも母体の情報ネットワーク、研究成果、技術力、人材、場合によっては資金も利用できる。情報ネットワークの構築、人材活用、研究プロジェクトの遂行、研究成果の商品化などにおいて、大学と企業はほぼ一体化して行っている。これは中国産学連携の最大の特徴とも言える。
活発な産学連携の展開は、生産、雇用、技術革新などの各方面から中国の高い経済成長を支える原動力の一つとなっている。一方、産学連携進展の反面、「産官学癒着」問題、拝金主義的風潮の蔓延、教師モラルの低下、ビジネスチャンスに恵まれた教師と恵まれない教師の収入格差の拡大、大学系企業の資本市場参入に伴うリスクの発生など、様々な問題点も表面化している。かような歪みをどう是正するかが胡錦涛新体制の課題ともなる。
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外資の攻勢と農業への打撃
しかし、胡錦涛新体制が直面するのは、上記のような「喜」(よろこび)ばかりではなく、「憂」(うれい)も数多くある。特に、WTO加盟に伴う衝撃など中国がかつて経験したことがない厳しい試練は新体制を待っている。最近、中国の金融界に激震をもたらした「南京エリクソン事件」はその典型的な実例である。
3月21日、中国政府のWTOに対する約束に基づき、アメリカのシティバンク上海支店は金融当局から中国域内における全ての客先を対象とする外貨取り扱い業務の許可を得た最初の外資系銀行となった。それと同時に、南京市最大の外資系企業・南京エリクソンは、その資金のメーン借り入れ先を中国系銀行からシティバンク上海支店へ変えた。
南京エリクソンは南京市の優良企業で業績が良い。これまで中国系銀行が南京エリクソンに貸し出した債権は全て優良債権であり、銀行利益の源泉ともなってきた。南京エリクソンのような優良客先の外資系銀行へのシフトは、中国系銀行にとって優良債権と利益の流失に他ならず、そのマイナスが大きい。これはいわゆる「南京エリクソン事件」である。
「南京エリクソン事件」の衝撃は事件自体にあらず、客先の連鎖反応を引き起こす懸念にある。中国のWTOに対する約束通りに金融分野を開放すれば、外資系銀行は外貨業務のみならず、中国元取り扱い業務も可能になる。中国系銀行に比べれば、外資系銀行の金融サービスの質が良く、範囲も広く、従業員の給料も五〜六倍高いため、これまで中国金融機関が持っている顧客と人材は外銀へシフトし、金融リスク増大の恐れが出てくる。
WTO加盟で最も大きな打撃を受けそうな産業分野は農業である。2001年12月、朱鎔基首相は北京で日中経済シンポジウム代表団と会見した時、次のように述べたことがある。「(WTO加盟による)最大のチャレンジは農業だ。生産規模が小さく、競争力がない。海外から多量の農産物が入ると、農民の収入は大きな打撃を受けかねない。」
現在、小麦、トウモロコシ、大豆、綿花など農産物の中国国内卸売り価格はそれぞれ国際価格より2〜4割程度高い。WTO加盟後、関税率の引き下げと輸入割当制度の廃止に伴って、米国産の小麦、トウモロコシ、大豆など安い外国農産品の輸入急増が予想される。中国側の試算によれば、農業分野を開放すれば、小麦農家だけで年間54.6億元(1元は16円に相当)の被害を受け、農業全体では966万人の農民たちが仕事を失うことになる。今後数年間、農民の痛みは相当なものであり、造反行動が起きてもおかしくない状態となる。
雇用問題も深刻化している。2001年末時点で、中国の都市部登録失業率は3.6%で、前年比0.5ポイント増えた。もしレイオフ人員と農村部の1億3000万人もいる余剰労働力を計算に入れれば、実質的な失業率は27%に上る。
WTO加盟に伴う市場開放措置によって、競争力がない産業分野は激しい競争に淘汰され、企業倒産が急増し、失業問題はさらに深刻化する可能性が大きい。中国側の試算によれば、上記農業966万人のほか、自動車50万人、鉄鋼50万人、機械58万人、紙・パルプ30万人は職場ポストを失うことになる。
実際、中国の労働紛争事件が年々増えている。中国の労働紛争仲裁委員会によれば、2001年に同委員会が受理した件数は前年比14%増の15万5000件で、紛争事件にかかわった労働者数は11%増の46万7000人にのぼったという。今後、いかに失業者に新しい職場ポストを提供し、失業者の離反・造反を回避するかは、胡錦涛新体制にとって最も頭が痛い問題になりそうである。
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億単位のスキャンダルと腐敗
中国が最も「病気の顔」を見せているのは言うまでもなく、益々深刻化する共産党幹部の腐敗が挙げられる。
中国の歴史には腐敗のため政権崩壊という例が多い。現在、経済成長率を遥かに凌ぐスピードで腐敗が広がっている。中国側の発表によれば、1995年以降の三年間、腐敗関連案件で摘発された処長(課長)クラス以上の幹部は毎年14.6%、処分を受けた処長(課長)クラス以上の幹部は毎年23.5%と逓増しており(「中国経済時報」1998年3月20日)、GDP成長率年平均9.7%より遥かに高い。98年以降、腐敗一掃キャンペーンの展開にもかかわらず、腐敗の蔓延に歯止めがかからない。現在、益々広がる中国の腐敗現象には2つの特徴がある。1つは共産党幹部の収賄金額が大きいこと。2000年、死刑にされた胡長清・元江西省副省長の収賄事件、成克傑・元全人代副委員長の収賄事件、最近摘発された李嘉廷・前雲南省省長や叢福奎・河北省副省長らの収賄事件など、いずれも日本円に換算すれば億単位のスキャンダルである。もう1つは腐敗幹部の背後に必ず女性がおり、つまり「愛人スキャンダル」である。
トランスペアレンシー・インターナショナルの発表によれば、現在、中国は世界主要輸出国19ヵ国のうち、最も賄賂が横行している国とされている。13年前の天安門事件の背景には、共産党幹部の腐敗に対する国民の強い不満があった。腐敗の蔓延に歯止めをかけないと、共産党一党支配の存続を脅かしかねない。胡錦涛新体制は腐敗の蔓延に効果ある対策が打ち出せるかどうかが注目される。
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東北地区は特に要注意
今後数年間、中国のWTO加盟のマイナス影響は益々表面化し、カントリーリスクが増大する恐れがある。地域としては、国有企業の集中地域と穀物のメーン産地としての東北地区(旧満州)は特に要注意である。
遼寧、吉林、黒竜江三省から構成される東北地域は、計画経済時代の産物でもある国有企業が最も集中する地域である。中国統計年鑑によれば、1996年東北3省の国有企業の従業員数は1706万人で、全国30省・直轄市・自治区全体の15.2%を占める。国有企業改革に伴う痛みを真正面から受け入れるのは正に東北地域である。胡鞍鋼著「中国戦略構想」によれば、1999年従業員リストラ比率が全国平均の18.3%に対し、東北地域の遼寧省は37.3%、吉林省31.8%、黒竜江省31.3%で、改革に伴う痛みは全国平均の2倍となっている。今後数年間、東北地域は労働紛争多発の地域になるだろう。
一方、「中国の穀物倉庫」と言われる東北地域は、これから農民の離反・造反も懸念される。東北産の大豆、トウモロコシ、粟などの農産品の在庫が急増し、その価格は5年前に比べ3割ぐらい下がり、農民・農家に大きな打撃を与えているからである。その背景には安い外国産穀物の輸入急増がある。大豆を例にすれば、2001年、中国はアメリカなど外国から全国の大豆生産量にほぼ相当する1396万トン大豆を輸入した。しかし、その一方、東北産の大豆の約6割は売れずに在庫となっている。
アメリカ産大豆のコストと比較すれば、東北産大豆はいかに競争力がないかが浮き彫りになる。まず生産コスト。アメリカ産大豆1トン当たり800元に対し、東北産は1600元で倍になる。輸送コスト、加工コストもアメリカ産よりも中国産は高い。WTO加盟の衝撃を肌で感じる東北地区の農民たちは離反・造反行動に出る懸念が高まっている。
東北地域にもう一つの不安定要素がある。北朝鮮から脱出した「脱北者」と言われる約10万北朝鮮人難民の存在である。この前の「瀋陽領事館事件」に示した通り、大量「脱北者」の存在は中国と第三国の外交トラブルの種となるのみならず、東北地域の治安を悪化させる要素ともなっている。
上記諸要素を総合的に分析すれば、向こう数年間、東北地域は中国の中では最もリスクが高い地域といえる。われわれは中国市場に目を向ける時、こうしたカントリーリスクも見落としてはならない。
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