【中国経済レポ−ト】
拍車かかる中国市場の巨大化
沈 才彬
《世界週報》2002年7月30日号
中国は今、国内企業の躍進と外国企業の対中進出加速を背景に、「世界の工場」として急浮上している一方、13億人口と持続的な高度成長を背景に、巨大な消費市場としてもクロ−ズアップしている。われわれはビジネスの観点から中国経済を見る時、「市場」としての中国と「工場」としての中国を、複眼的に捉えなければならない。
ここでは自動車メ−カ−のホンダの中国現地法人、広州ホンダを実例に、急成長するこの巨大市場に対する日本企業の攻め筋を具体的に探った。
予想される「2つの加速」
中国経済の動きとして、今後2つの加速が予想される。
1つは経済規模拡大の加速である。シンガポ−ルのリ−・クァンユ−上級相は昨年6月、ある講演会で衝撃的な発言をした。「もし米中衝突がなければ、50年後の中国の経済規模は日本の5倍か10倍になる」と。リ−・クァンユ−氏の発言に中国経済に対する過大評価の一面があると思われるが、中国の経済大国化という動きはこれから加速するという見方には間違いがないだろう。
日本の経験によれば、国内総生産(GDP)総額は一旦1兆ドル大台に到達すれば、経済規模の拡大は加速状態に入る。戦後、日本のGDP総額が1兆ドルに到達したのは1979年で、到達までに33年もかかった。しかし、1兆ドルの大台から2兆ドル(1986年)へ躍進するのにわずか7年。急激な円高もあって、2兆ドルから3兆ドル(1991年)へは5年、3兆ドルから4兆ドル(1993年)へは3年だった。
勿論、日本の経験はそのまま中国に当て嵌まるものとは思わない。しかし、2000年に1兆ドル大台に乗せた中国経済規模はこれから拡大加速に入ることは確かだ。中国には4つの「落差パワ−」があるからである。
日本の「国民所得倍増計画」の立案者である下村治氏はかつて次のように述べたことがある。「水力発電は水流の落差によるもので、落差が大きければ大きいほどパワ−も大きい。同様に、一国のGDPの世界における順位と1人当たりGDPの順位との開きは大きければ大きいほど、経済成長のパワ−も大きい」。
まず2000年に全世界200以上の国々の中で、中国のGDP規模は世界第7位だが、1人当たりで平均すれば、約855ドルで第128位。両者の落差が大きい。また現在、G7諸国と中国の一人当たりGDPの格差は35倍、沿海地域にある最も豊かな上海市(2000年は約4172ドル)と内陸地域にある最も貧しい貴州省(同321ドル)の1人当たりGDP格差は13倍。都市部住民と農村部住民の収入格差は2.8倍。
地域格差や収入格差の存在は決して良いことではなく、社会不安定の要素になりかねないが、しかし視点を変えれば経済成長のパワ−にもなりうる。もし、この4つの落差を是正し、特に潜在力が大きい農村市場と内陸市場を開拓すれば、向う20年間、年平均6‐7%の成長率を維持することは十分に可能であろう。一般的な見方だが、2020−2025年に、中国は経済規模で日本を追い越し、世界第2位の経済大国になる可能性が高い。
2つ目の加速は国民の豊かさの加速である。同様に日本の経験によると、1人当たりGDPが一旦、1000ドル台に乗れば、国民の豊かさも加速状態に入る。日本の1人当たりGDPが1000ドル台に上がったのは1966年のことであり、到達まで21年もかかったのである。その後、1000ドルから2000ドル(1971年)への所要年数は5年、3000ドル(1973年)へは2年、10000ドル(1984年)へは11年。豊かさの実現に拍車がかかった状態が明らかである。
韓国も日本と同じような傾向を示している。韓国の1人当たりGDPが1000ドル台に上がったのは1978年のことであり、朝鮮戦争終結から到達まで27年もかかったのである。しかし、そこから2000ドル台(1983年)へは5年、その後3000ドル台へも5年、さらに10000ドル台へは13年。韓国でも豊かさの実現が加速状態となっている。
中国では、持続的な高度成長の結果、1人当たりGDPは2001年の時点で既に900ドルを超え、03年に1000ドル台に乗せることは確実だ。これからは国民の豊かさの実現がハイウェ−に入り、2010年に2000ドル台、15年に3000ドル台、20年に5000ドル台に上がる見通しである。
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膨張する中国の消費市場
上記「2つの加速」によって、中国の消費市場膨張にも拍車がかかる。一般的に言えば、潜在的巨大市場の構成要素は3つある。1つは巨大人口、2つ目は高いGDP成長率、3つ目は低い製品普及率である。中国はいまこの3つの要素を全部備えているので、世界最大規模の市場となるのは時間の問題であろう。
実際、中国は沿海地域を中心に、既に巨大市場を形成しつつある。朱鎔基首相の母校である清華大学の教授・胡鞍鋼博士の論文・「1つの中国、4つの世界」(「中国経済時報」2001年4月17日)によれば、購買力平価(ppp)計算で、「第一の世界」と呼ばれる中国の上海、北京、深?など高所得地域の一人当たりGDPは既に先進国並みの水準に到達し、「第二の世界」と呼ばれる沿海地域の広東、福建、江蘇、浙江、山東、天津など6省・市は中進国並の水準に達している。第一と第二世界は合計3億の人口を有し、一大消費市場を形成しつつある。ちなみに、中部地域は「第三の世界」、西部地域は「第四の世界」で、いずれ途上国の水準にとどまっている。
事実、携帯電話や家電製品及びビ−ルをはじめ多くの分野では、中国の市場規模は既に世界1位を占めている。日本経済新聞社が業界団体から聞き取った「日中市場規模比較調査」によると、2001年に市場規模では鋼材は中国が日本の2倍強、銅2倍、携帯電話2倍、DVDプレ−ヤ3倍、ピアノ5倍、ビ−ル3倍となっており、中国の国内需要は消費財から生産財まで幅広く拡大し、日本よりも大きくなった分野が目立つ。
今後、巨大市場への変身が一層加速され、中国に大きな需要ショックと消費ショックになる。21世紀は日本経済の中国マ−ケットに対する依存度が益々高まり、中国市場抜きでは日本産業の発展を語れなくなると言っても言い過ぎではないだろう。
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中国での成功モデル「広州ホンダ」
これまで中国に進出してきた日本企業を大雑把に分ければ、中国市場をタ−ゲットとする内需志向型企業と、生産拠点として中国を活用する輸出志向型企業に分けられる。日系進出企業の全体から見れば、輸出志向型の成功例が多く、内需志向型の成功例がまだ少ないが、中でホンダの現地法人・広州ホンダは、中国市場をタ−ゲットとする数少ない成功企業の1つである。
中国市場で21世紀に注目される有望な分野は、3Mと呼ばれるマイカ−、マイホ−ム、モバイル・テレコムである。そのうち、マイカ−の潜在力が最も大きいと見られる。
日本が「マイカ−時代」を迎えたのは1960年代のことである。その背景には、高度成長の成果として国民の豊かさの実現及び東京オリンピック開催という追い風があった。モ−タリゼ−ションでは今の中国は60年代の日本に似ている。2001年、中国の自動車販売台数は約236万台(うち、乗用車は約73万台)に達し、世界第10位の市場規模になっている。マイカ−について言えば、全国レベルでは100人に1台の普及率にとどまっているが、北京市のような100世帯あたり保有台数が12台(約4%)に達した地域も出現している。今後、経済成長に伴う富裕層の急増を背景に、08年北京オリンピック開催を挟んで、2010年まで中国でマイカ−が急速に普及することは確実だ。市場規模で言えば、乗用車の販売台数は現在の3.5倍に相当する250万台になる見通しである。2015年までに乗用車を含む自動車国内販売台数は日本と並ぶ水準に到達する可能性も秘められる。
ホンダに中国進出のチャンスをもたらしたのは仏プジョ−の広州撤退である。1996年仏プジョ−と広州汽車集団公司が合弁を解消した直後に、ホンダは入り込み、翌年11月に広州汽車集団公司との合弁協議書調印式が東京で行われ、日本大手完成車メ−カ−の初めての中国進出を果たした。
今年4月末、筆者は広州ホンダを訪問し、門脇轟二総経理(社長)に取材した。広州ホンダ(全称は広州本田汽車有限公司)はホンダと広州汽車集団公司の折半出資(登録資本金1億3994万ドル)で1998年7月1日に設立した日中合弁会社である。2001年、広州ホンダの従業員数は2406人(うち、日本人26人)で、乗用車(アコ−ド)出荷台数は前年比60.3%増の51,653台に達し、全部中国市場で販売したもので、市場シェアは7.3%を占めている。今年4月から新車オデッセイを発売し、通年の出荷台数は前年比8%増の5万9000台となる見通しである。2001年の売上高は前年比58.4%増の120億元(約14.5億j)で、輸入関税、付加価値税、消費税などの納税額(企業所得税を除く。利益発生2年目までは企業所得税が免除になる優遇税制を適用)は26億元に達している。利益額につき、広州ホンダは発表していないが、「中国経済時報」の記事によれば、01年の納税・利益額は45億元に達するという。もしそれが事実とすれば、広州ホンダの利益率(対売上)は約14%になる。
ちなみに、中国側の発表によれば、広州ホンダは売上高では2000年中国外資系企業ランキングの15位、日系企業のダントツ1位を占めている。現在、広州ホンダは中国全国の76都市に110の販売・アフタ−サ−ビス拠点を確保しており、年内にさらに160に増やす見通しである。乗用車生産能力も現在の5万台から12万台に拡大する計画が立てられている。
僅か3年で黒字化を実現した広州ホンダは、中国政府側に「日中合作の傑作、Win−Win体制のモデル」と高く評価され、江沢民主席、朱鎔基首相、李鵬全人代委員長ら政府要人も相次いで広州ホンダを視察した。
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最新車種・最新技術の導入で成功
それではホンダはなぜ中国進出に成功したか。広州ホンダの門脇総経理は、「広州ホンダは成功したと言える段階ではないが、一応基盤ができた」と説明し、その要因として次の4つを挙げた。
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周到なマ−ケット調査と適切な価格設定。ホンダは中国進出の際、徹底したマ−ケティングを行った上で、販売価格を設定した。当時、アコ−ド車と同じクラスのVW社のアウディ車は34万元、GM社のビュイック車は35万元で販売していたが、広州ホンダはアコ−ド車の発売価格を29万8000元と設定し、30万元を割った価格で勝負に出た。この価格設定は旨く当たり、高所得層の消費者から大いに受け入れられてきた。
- 誠意ある協力姿勢およびコンセンサスによる意思決定。広州ホンダには総経理1名(日本人)、副総経理3名(日本人1名、中国人2名)がおり、この4人による経営会議は週に1回開かれる。日中双方の平等な意見交換は十分に行われ、コンセンサスを得て経営方針を決定する。門脇氏の経験によれば、自分の考え方を相手に理解して貰うことが大切で、その一方、相手の考え方を尊重することも必要である。「欧米人を見るように中国人を見る」(門脇総経理)という平等意識は中国進出の成功にとって不可欠の条件といえる。
- バラドックスな発想。「中国は途上国だから、途上国に似合う技術を導入すべきだ」というのはこれまでの欧州自動車メ−カ−の発想だ。例えば、仏プジョ−と独VWはいずれも欧州で淘汰された車種(プジョ−505、サンタナ)を中国と合弁で生産してきた。しかし、ホンダの発想は違う。確かに中国の所得水準全体はまだ途上国にとどまっているが、地域格差と所得格差が大きいため富裕層も相当出ている。広州ホンダは富裕層に注目し、最新車種と最新技術を中国に導入して成功を収めたのである。
- 積極的な現地化推進姿勢。ホンダは積極的な現地化対策を打ち出し、日本の部品メ−カ−数十社も連れて広州に進出している。現在、広州ホンダの現地部品調達率は60%に達し、コストダウンに大きく貢献している。
一方、広州市政府はホンダ技研側の平等な姿勢、積極的な技術移転(最新車種、最新技術の導入)、現地化の推進、高品質・低価格のブランドイメ−ジを高く評価している。これまで、広州市は巨額資金を投入し、広州エチレンプラントなど重化学工業プロジェクトを建設してきたが、いずれも経営破綻に陥り失敗に終わった。広州ホンダの成功は同市の重化学工業基地建設の自信を深めた。ホンダの果たした役割は実に大きい。
広州ホンダは中国の巨大市場をタ−ゲットとする内需志向型成功モデルと言える。空洞化の懸念が強まる日本産業界にとって、ホンダの成功は意味が実に大きい。またホンダはさらに、7月10日、日本を除くアジア・欧州向け輸出用乗用車の新工場を広州市に建設する計画を発表した。中国を「市場」と「工場」の両方として活用するのがホンダの思惑であろう。
これまで中国で目立つ日本産業は家電、ビ−ルなど軽工業的消費財部門だったが、国の産業構造、技術構造に深い影響を与える基幹的部分においては、日本企業の存在感は意外に乏しい。しかし、広州ホンダは重工業分野のモデル企業として、中国の産業構造、技術構造に大きな影響を及ぼしている。市場シェアから見れば、中国の乗用車市場における欧米勢、特にドイツ勢の優勢が明らかだが、ホンダ技研の参入と成功は中国の自動車産業地図を塗り替え始めている。
中国市場のパイが益々大きくなる現在、広州ホンダの成功経験は示唆に富む。中国マ−ケットを攻めようとする日本企業にとっては大いに参考になるだろう。
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