【中国経済レポ−ト】
「減速」しても「失速」はなし−軟着陸へ中国政府の過熱抑制策−
沈 才彬
『エコノミスト』別冊2004年7月11日号
過熱経済には客観分析が必要
中国経済はいま摂氏38度ぐらいの発熱状態となっている。解熱剤を投入して熱が下がるか、それとも40度ぐらいの高熱に上がって倒れるか、過熱経済の行方が注目される。世界のエンジンとなっている中国の経済成長が失速すれば、日本を含む各国経済に大きなマイナスの影響を及ぼしかねないからである。
中国経済の行方については、楽観論と悲観論に意見が分かれているが、一部のマスコミは筆者を「楽観論の代表格」(『フジサンケイビジネスアイ』5月19日号記事)と見なしている。しかし実際、筆者は楽観論でも悲観論でもではなく、客観論者である。絶えず変化しつつある真実の中国を、冷静かつ客観的に見ることが、筆者の一貫した主張である。
昨年12月、筆者は「中国の3つのバブル懸念」(『日本経済新聞』2003年12月17日付「経済教室」)という論文の中で、@中国経済は新たな拡張期に入ったA中国の当面の主な懸念はデフレではなくインフレであるB中国は投資、銀行貸し出しおよびマネ−サプライという3つのバブル懸念を抱えている、という見解を示した。その後の推移を見れば、いずれも正しい見方と言わざるを得ない。ちなみに、この論文は日本において最も早く中国のバブル懸念を指摘した論文の一つだった。
現在、バブル懸念が強まる過熱経済に対し、中国政府は抑制策を打ち出している。その過熱抑制策はどの程度本気なのか。バブル抑制で中国経済に何が起こるか。中国経済のソフトランディングが可能かどうか。日本や世界経済にどんな影響をもたらすか。本稿は最新デ−タを駆使し、日本企業の関心が集まるこれらの問題に焦点を当て、客観的に分析を進めたい。
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ますます強まるバブル懸念
実際、中国経済にバブルの兆しが出始めたのは、昨年第1四半期であり、その期のGDP成長率は9.9%にのぼった。しかし、昨年3月末から猛威を振るったSARS(新型肺炎)感染の拡大によって、バブル懸念が覆い隠され、本来なら過熱抑制に動き出すべき中国政府は、SARSによる経済への影響を食い止めるため、積極財政拡大の方策をとってきた。その結果、SARSの影響を最小限に抑えることに成功した一方、バブル抑制ができず「バブル育成」になってしまった。
バブルの兆しが再び現れたのはSARS終息後の昨年第3四半期。その期の成長率は9.6%に達し、固定資産の伸び率も30.5%にのぼった。同時に、中国の経済論壇では過熱かどうかを巡る論争も過熱化していた。政府は「過熱論争」に対し明確な結論を示さず、中立の立場を保ってきた。この姿勢は今年初めごろまで続いた。
バブルの兆しが顕著に出たのは、昨年通年の経済統計が発表された今年1月ごろだった。03年GDP伸び率は9.1%にのぼり、固定資産投資も27%増加した。そのうち、一部の分野の設備投資の過熱ぶりが特に際立った。例えば、自動車分野は前年比87%、電解アルミ同92%、鉄鋼同97%、セメント同121%といずれも大幅な伸びを示した。
今年に入ってバブル懸念はさらに強まっている。1〜3月期のGDP成長率は9.8%にのぼり、固定資産投資も43%と急増した。昨年、過熱ぶりが際立った鉄鋼、セメント、電解アルミ3分野は、今年1〜3月期はさらに熱を上げ、投資伸び率はそれぞれ107%、101%、39%に達した。仮に建設中また計画中の投資案件が全部完成すれば、05年末までに上記3分野の生産能力は需要をはるかに上回る結果となる。例えば、鉄鋼の生産能力は05年末までに3.3億トンに達し、10年の需要分に相当する。こんな投資バブルを放置すれば、06年には設備・生産過剰の発生は避けられない。
投資バブルと同時に、銀行貸し出しのバブル懸念も強まっている。昨年の新規貸し出しは前年比75%増、今年1〜3月期の貸出残高は前年同期比20.7%増となっている。銀行貸し出しの過熱は景気過熱を増幅させるのみならず、経済成長が失速した場合、新たな不良債権になりかねず、金融危機を招く恐れもある。
マネ−サプライのバブルも懸念される。昨年1年間のマネ−サプライは前年比19%増、今年1〜3月期も19%増を記録した。消費者物価上昇率も昨年の1.2%から、今年1〜3月期は2.8%、4月も3.8%、そして5月は4.4%と上昇し、グリ−ンスパン・米連邦準備制度理事会(FRB)議長が指摘したインフレ圧力はますます強まっている。
投資、銀行貸し出し、マネ−サプライという三つの過熱により、バブル崩壊や生産過剰などによる経済の急変調が懸念され、経済運営のリスクは増大している。
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誰が中国の高成長を支えるか
経済過熱によって、中国の高度成長が持続できるかどうか、さまざまな問題が起きている。
まず、素材「爆食」の問題である。昨年、中国は世界のGDPの4%を創出したのに対し、世界石炭消費量の30%、鋼材の36%、セメントの55%を飲み込み、素材「爆食」の実態が浮き彫りになっている。こうした素材「爆食」型高度成長を続けられるかどうか、疑問である。
エネルギー逼迫も大きな問題である。昨年、中国の原油輸入量は前年比3割増の9,112万トンにのぼり、日本を凌いで世界第2位の石油消費国になった。今年1〜3月の原油輸入も前年同期比2割増の3,014万トンに達し、通年での1億トン突破は確実な状態となっている。
中国政府は2020年までにGDPの4倍増を目指している。現在、中国の1人当たり年間石油消費量は約0.2トンで先進国平均の5分の1にすぎないが、仮に20年に先進国水準を達成すれば、中国の石油消費量は5倍増の15億トンに膨らむ。換言すれば、03年世界石油貿易量16億トンのほとんどが中国一国に吸い込まれる。これは到底、日米をはじめ世界各国が許容できることではない。
電力不足も深刻化している。中国経済はいま新たな拡張期に入り、その牽引役は自動車、鉄鋼など重化学工業分野である。周知の通り、自動車、鉄鋼、セメント、電解アルミなどはいずれも電力を大量消費する分野であり、全国範囲の電力不足をもたらす最大の原因となっている。
昨年、中国の31省・直轄市・自治区のうち19が電力不足に陥り、6省・市に広範囲の停電が起きた。経済成長が著しい長江デルタ地域(上海市、江蘇省、浙江省)、珠江デルタ地域(広東省)の停電が特に深刻である。今年、電力不足は更に拡大し、24省・直轄市・自治区に広がる見通しである。
要するに、中国の高度成長を支える鉄鋼、非鉄、石油などの資源はいずれも海外依存度が高く、今のような原材料、エネルギー大量消費型高度成長を誰も支え切れず、限界に来ているのは明らかである。そのため、成長方式の転換が求められる。
現在、GDP1万ドルの創出に対するエネルギ−消費は、基準炭換算で中国は11.8トンにのぼり、米国の3倍、ドイツの5倍、日本の6倍に相当し、効率と生産性の低さが目立つ。中国は、仮にエネルギ−利用率を先進国の水準に高めれば、エネルギ−消費がゼロ成長でもGDPの4倍増計画の実現が可能である。
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温家宝政権、過熱抑制に本腰
今年4月15日、中国国家統計局は1〜3月期の経済統計を発表し、中国経済が過熱状態にあることが明らかになった。それを受けて中国政府は過熱抑制に本格的に動き出した。
4月26日、党の中央政治局会議が開かれ、マクロコントロ−ル強化、過熱抑制、生産性の向上を主な内容とする経済運営方針は正式に決定された。
党執行部のこの方針に基づき、中国政府は過熱抑制のための一連の行動に乗り出した。4月27日、国務院は過熱分野の投資案件自己資本金比率の引き上げを決め、鉄鋼分野は既存の25%から40%へ、セメント、電解アルミ、不動産3分野は20%から35%へそれぞれ引き上げた。
翌4月28日には温家宝首相が、江蘇省常州市鉄本プロジェクト(粗鋼年産840万トン、投資12.5億ドル)の建設中止、関係責任者の処分を命じ、過熱抑制の行政命令を発動。さらに4月29日には、国務院が各地方政府に対し通達を出し、建設中か企画中の鉄鋼、電解アルミ、セメント、政府機関オフィスビル、都市モノレ−ル、ゴルフ場、ショッピングセンタ−など関連投資案件、及び04年のすべての新規投資案件を全面的に審査し、中央政府の規定に適わない案件を中止させるよう指示した。
5月11日、中国人民銀行(中銀)は適度の金融引き締め政策の実施を表明し、場合によって金利の引き上げも有り得ることを示唆した。実際、中銀は今年から過熱抑制に向けて一連の金融引締め政策を取ってきた。
例えば、今年に入って1カ月のうちに預金準備率の引き上げを2回も実施した(3月25日と4月25日)。公定歩合も2.7%から3.33%へ引き上げた。鉄鋼、セメント、電解アルミ、不動産分野への銀行貸し出し規制にも乗り出した。 今後、インフレ率の上昇とマクロコントロ−ルの効果を見ながら、場合によっては(例えばインフレ率が5%を越え、マクロコントロ−ルの効果も薄い場合)金利の引き上げも視野に入れる。
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成長の挫折は当面ない
こうした中国政府と金融当局の一連の対応策は、ソフトランディング実現に向ける必要な措置と思われ、過熱抑制に本腰を入れたと見ていい。ただし、過熱沈静化など具体的な効果が出るのは多分、今年後半になるだろう。
改革・開放政策導入以降、これまでに中国の経済成長は3回も挫折した。1981年、86年、89年である。いずれも民主化運動の発生、または民主化とインフレの高揚が重なった結果であった。経済問題だけで成長挫折のケ−スは一度もなかった。その意味では、政治民主化問題は中国の経済成長に横たわる最大の壁と言えよう。
当面、中国国内の政治状況を見る限り、民主化高揚の機運が見られず、インフレ率も89年にははるかに及ばない。これまでの経験則では、経済成長がすぐに挫折するとは考えにくい。
さらに、中国政府はいまソフトランディングに本腰を入れており、過熱抑制によって、経済成長の減速はあるが、失速はないだろう。今年通年の経済成長率は8.5〜9%になり、来年も8%台の成長が続く見通しである。
08年オリンピック開催まで経済成長の波が多少あっても、年平均8%の成長は続く、という見通しには変わりない。
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日本、世界経済への影響大
昨年、旺盛な国内需要のため、中国の輸入規模は02年の2,952億ドルから前年比40%増の4,128億ドルへ拡大し、イギリス、フランス、日本3カ国を一気に追い抜き、世界第3位の輸入大国になった。中国の高度成長はいま世界のエンジンとなっており、中国向けの輸出急増は多くの国々の経済成長の下支え要素となっている。
例えば、日本の昨年の対中輸出は円ベ−スで前年比33.3%増を記録し、その増加分(1兆6580億円)は日本総輸出増加分(2兆4533億円)の7割近くを占める。香港向け増加分(2802億円)を加算すれば、輸出増加分の約8割が中国の貢献である。日本の景気回復の陰の主役は中国、と言っても過言ではない。
現在、中国政府の過熱抑制策によって、経済成長の減速が予想され、輸入の拡大にブレ−キがかかることが懸念される。世界通貨基金(IMF)は、中国の輸入が10%減少すれば、世界経済は0.4%、アジア各国は0.5%減速すると試算している。
しかし、実際のところ、今年と来年の中国経済成長率は8%以上で維持されると予想され、輸入拡大の鈍化が多少あっても大幅な減少は考えられない。日本の場合、昨年のような対中輸出の大幅増は確かに難しいものの、2ケタの伸び率は保たれると思われる。
しかも、日本の内需分野も確実に景気回復に向かっているため、結局、中国の経済減速による日本への影響は限定的なものにとどまると思う。
昨年、旺盛な中国国内の需要に牽引され、素材をはじめ多くの商品で価格の上昇が目立った。
過去1年間で、H形鋼など一部の鋼材価格は約20%、鉄鉱石18%、スクラップ30%以上、石炭25%、古紙30%以上、ニッケル約2倍、と値上がりした。最近、中国のバブル抑制によって、線材、ニッケル、スクラップの価格は大幅安に転じ、価格の乱高下による企業経営への悪影響が懸念される。ただし、長期的に見れば中国の過熱抑制は素材価格の急上昇に歯止めが掛かり、日本企業の生産コスト抑制にはプラスの影響も期待される。
要するに、中国の過熱経済を抑制しなければ、高度成長の持続は危うくなり、日本を含む世界経済にも悪影響を及ぼしかねない。過熱抑制によって、軟着陸による安定成長が実現すれば、中国のみならず世界にとっても朗報にほかならない。
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