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【中国経済レポ−ト】
【中国経済レポ−ト】
人民元問題、米中妥協が浮上
日本、 「圧力」より「協調」を

沈 才彬
2003年11月19日《日本工業新聞》

  • 経済攻防の前哨戦
  • 対中制裁はあるか
  • 米製品増やし、元変動幅拡大か
  • 政府、企業の対応
  •   中国の人民元問題は米大統領選挙の争点の1つともなっており、ブッシュ政権は米産業界と労働組合の圧力を背景に、中国に元の切り上げを求めている。人民元問題をめぐる米中交渉の行方は、元切り上げかどうかを左右し、日本企業の対中ビジネスにも大きな影響を及ぼしかねない。

    経済攻防の前哨戦

      元の切り上げ問題をめぐり、中国と日米欧先進国の間に激しい論争が展開され、世界に注目されている。この問題を見る時、二つの視点が必要と思われる。

      一つ目は、通貨攻防戦は経済攻防戦の前哨戦であるという視点である。

      近年、中国経済は台頭し、急速に日米欧先進諸国にキャッチアップしている。世界第六位とランクされている中国の経済規模は、2006年までにフランスとイギリスを追い越し世界第四位となるのは確実な情勢となっている。さらに2010年までにドイツを、2020年までに日本を、2050年前後に米国を凌ぐ世界最大の経済パワ−になる可能性が高い。

      中国の凄まじい攻勢に対し、日米欧は守りの姿勢で応戦せざるを得ない。人民元切り上げ問題での日米欧の攻勢は、経済防衛戦の側面を否定できない。ある意味で、通貨攻防戦は経済攻防戦の前哨戦とも言える。

      二つ目は、中国経済は新たな転換期に入りつつあるという視点である。世界貿易機関(WTO)加盟後、中国経済が世界経済に溶け込む中、日米欧先進国との金融面のギャップ、知的財産権保護面のギャップ、法律面のギャップが際立ち、さまざまな国際摩擦が起きている。人民元切り上げ問題をめぐるチャイナ・バッシング(中国叩き)は、正に金融面のギャップに起因するものであり、中国が直面する新たな挑戦と試練にほかならない。

      言うまでもなく、人民元をめぐる国際紛争の解消は、中国の為替制度と金融システムの改革、資本市場の整備を通じて、金融面のギャップを解消するしか方法がない。中国は元切り上げ問題での「外圧」を生かし、国内改革を加速し、この転換期を乗り切らなければならない。 

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    対中制裁はあるか

      元の過小評価および元対ドルの実質固定相場を背景に、日米など外国政府は人民元批判を強めている。狭まりつつある人民元包囲網のうち、中国側が最も懸念しているのは米国政府の出方である。米国内では来年秋の大統領選挙をにらんで、人民元の為替問題を政治的に利用するチャイナ・バッシング(中国叩き)の動きが広がっているからである。

      冷戦終結から今までの経験によれば、米国大統領選挙の年、または大統領選挙戦開始の年に、中国は例外なく選挙の争点として批判の的になる。しかし、選挙が終わると、新しく誕生した政権は例外なく中国との関係修復に動き出す。これは米国の政治ゲ−ムである。今回の大統領選挙では、人民元問題が争点となり、中国をスケ−プゴ−トにする政治ゲ−ムが再現する可能性が高い。

      それでは大統領選挙を控えたブッシュ政権は、雇用問題における米産業界や労働組合の反発を和らげるために、元切り上げ圧力を行動として示さなければならない場合、どんなシナリオが予想されるか。

      米国側は一千三十億ドルにのぼる対中貿易赤字を有力カ−ドとして、次の二つの対中制裁措置が考えられる。一つは中国の繊維製品や家電製品などを対象とする小範囲アンチ・ダンピング措置の発動である。その可能性は高いが、影響が限定的なものにとどまる。二つ目は広範囲の対中制裁措置の発動である。例えば、中国輸入品に対し一律に高関税率を課すなど。可能性としては極めて低いが、万が一起きた場合、その影響が大きい。

      小範囲アンチ・ダンピング措置の場合、中国は反発をするが、報復措置の発動を多分見送ると思われる。しかし、広範囲の対中制裁措置の場合、中国側は当然報復に出る。どんな報復措置を取るか。1996年に起きた米中通商摩擦の事例を見よう。同年5月、当時のクリントン政権は海賊版CDによる知的所有権侵害を理由に、総額三十億ドルにのぼる対中制裁対象リスト(100%関税の賦課)を発表した。これを受け、中国政府は即日、米国の制裁を上回る報復措置をとり、米製品に100%の特別関税を課し、米企業の対中投資も規制する逆制裁リストを発表した。米中貿易戦争は一触即発という緊迫した状態となっていた。

      ところが、制裁発動予定のぎりぎりの段階で、米中双方が互いに妥協し、合意の成立によって制裁発動を回避した。相互妥協には様々な理由があるが、中国側が切り出した市場カ−ドは効果があったと見られる。制裁が発動すれば、ボ−イングのような米多国籍企業は中国市場から締め出される恐れがあるため、必死になって制裁の発動に反対した経緯があった。

      今回、米国が人民元問題で対中制裁を発動すれば、中国側は再び市場カ−ドを切ることも予想される。米中貿易は日米貿易と違い、ブーメラン形態が主な特徴となっている。つまり、米国企業は中国に進出し、中国で生産した製品を米国に輸出するという構図である。ブーメラン貿易の主な担い手は、モトローラ、コダック、GM、ボーイングのような多国籍企業である。これらの多国籍企業は中国市場から莫大な利益を得ており、一千億ドルを超える対中貿易赤字の多くも、多国籍企業の対米輸出によるものとみられる。

      現在、米国内の中小企業は人民元切り上げを強く求めているが、多国籍企業は沈黙を保っている。元を切り上げれば、多国籍企業にとってコスト上昇が避けられず、不利益になるからである。米中制裁合戦の場合、米多国籍企業は再び立ち上がって制裁に反対する可能性が高い。

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    米製品増やし、元変動幅拡大か

      中国にとって最も有力なカ−ドは、やはり手中の米国債である。中国の報復措置として、最後の手段も米国債の売却である。

      2003年6月現在、中国が保有している米国債は一千二百二十五億ドルで、日本の四千四百十億ドル、英国の一千二百二十八億ドルに次ぐ規模。香港の持ち分を計上すれば、合計約二千億ドルにのぼる。仮に中国が米国債の売却という行動に出た場合、米長期金利の急騰と財政収支の悪化をもたらし、米経済を混乱に陥れることもできる。

      実際、中国は手中の米国債をカ−ドに使って米当局と交渉した前例がある。香港返還を控えた1997年5月、「金融サメ」と言われる米ヘッジファンドの雄・ジョ−ジ・ソロスは何度も香港ドル売り投機の動きを見せた。それをキャッチした香港の親中派有力財界人は朱鎔基副首相(当時)に「ソロス傘下のファンドが香港ドル売りを仕掛けている」との情報を伝えた。事態を深刻に受け止めた朱鎔基氏は、さっそく「香港ドルの防衛には米国債を売らざるを得ない」とのメッセ−ジを当時のル−ビン米財務長官に送った。

      朱鎔基のメッセ−ジは米国の急所を突いた格好となった。当時、中国と香港は合計二千億ドルの外貨準備を持ち、そのうちのかなりの部分を米国債で運用していた。売りに転じると米金利は上昇し、株式市場も混乱する恐れがある。財政赤字の穴埋めを外国に依存している泣き所を突き、朱鎔基は米政府に対し、香港ドル売りを断念するようソロスに働きかけてくれと迫った、という筋書きだった。

      米政府は実際に朱鎔基のメッセ−ジにどう対応したかがわからないが、その後、ソロスは香港ドル売り投機の動きを見せなかったのは確かである。今回の人民元切り上げ問題で、米国が対中制裁を発動した場合、中国側は米国債カ−ドを再び切ることが考えられないわけではない。

      ただし、人民元問題で米中貿易戦争が発生する確率が極めて低い。両国にはそれぞれの事情があるからである。

      まず、米国は現在、イラクの戦後復興問題、北朝鮮の核開発問題など政治的な難題を抱えており、これらの問題の解決には国連安保理常任理事国の中国の協力が欠かせない。一方、大幅な元切り上げが実施された場合、中国の国民が大量の人民元をドル資産に切り換え、結果的にはドル高を招きかねない。これは米国の国益に適わない。従って、人民元問題で米国の本音は対中制裁ではなく、中国にもっと多くの米国製品を買ってもらうことにある。

      一方、中国にとって、米国は最大の輸出市場であり、最大の直接投資国でもある。経済成長を最優先する中国は、決して米国との貿易摩擦を望むものではない。そこで、米中妥協案が浮上する。妥協案の中身は次の通りと見られる。

      @中国は米国からの輸入を大幅に増やし、米国の貿易赤字を減らす。実際、中国は調達ミッションの米国派遣により、航空機、自動車、農産物など米国製品の大量購入に動いている。

      A中国は元切り上げ圧力に屈しない方針だが、適切なタイミングで元対ドル相場の変動幅を拡大する。

      B中国は将来、市場で人民元レ−トを決める変動相場制への移行を約束する。

      具体的な実施時期については、@はすでに動きだしており、A来年米大統領選挙後は有力、Bは2008年以降と思われる。

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    政府、企業の対応

      今年2月、先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)以来、日本政府の高官は人民元批判を繰り返し、元切り上げに対する過剰期待が目立っている。

      しかし、大幅な元切り上げは景気回復の兆しがようやく見えてきた日本経済に悪影響を及ぼしかねず、圧力政策は必ずしも日本の国益に適うとは言えない。特に、政治的には北朝鮮の核開発疑惑問題や日本人拉致問題などの解決は中国の協力が不可欠となり、経済的には官民一体で北京−上海間の高速鉄道建設に新幹線を売り込もうとする現在、圧力政策は得策ではないことが明らかである。

      日本はかつてジャパン・バッシング(日本叩き)の被害者であった。1985年に欧米諸国に「プラザ合意」を強いられた結果、急激な円高を招き、日本の国際競争力が削がれ、長引く景気低迷に陥った。人民元問題で、日本は米国主導のチャイナ・バッシング(中国叩き)に加担し、自分が欧米諸国に飲まされた苦い酒を中国に飲ませるべきではない。

      それでは、日本は一体どんな対策を取るべきか。筆者は、「圧力政策」ではなく「協調政策」を取るべきとして、日本政府に次の6つの具体策を提言する。

    1. まず、元の自由化や為替制度の変更を迫るのではなく、時間をかけて中国を元の自由化や変動相場制への移行に誘導していく政策をとるべきである。日本は変動相場制移行の成功と急激な円高の失敗を両方体験したことがあり、その経験と教訓は中国の参考になり、元の自由化や変動相場制の移行に貢献できる。
    2. 当面、日本は元の切り上げを求めるのではなく、元相場の変動幅を拡大し、徐々に柔軟性を高めていくことが中国の利益になるとして、中国の説得に努めるべきである。
    3. 元対円相場の相対的安定は両国企業の利益になる。そのため、日本は人民元が単一の通貨・米ドルにリンクするのではなく、パッケ−ジでドル・円・ユ−ロとリンクする為替レ−ト制度の導入を提言し、その実施に具体的な協力・指導を提供すべきである。
    4. 中国の資本市場開放に対し、日本のノウハウを提供すべきである。
    5. ハイレベルの財務省官僚を北京に常駐させ、中国の金融当局と緊密に連絡し、人民元問題における日中間の調整を図る。
    6. 元の自由化や変動相場制の移行による影響に関する日中共同研究を実施し、両国の政府当局に具体的な政策提言を行う。
      要するに、ゼロサムの発想ではなく、ウイン−ウイン構想に基づく政策が日本の国益に適うと思われる。

      人民元相場の変動は日本企業の対中ビジネスに大きな影響を及ぼしかねないため、われわれはその行方を注意深く見守る必要がある。私見だが、人民元の行方に目を向ける時、次の二点を留意すべきだと思う。

      一つは、2008年まで大幅な元切り上げはないが、来年秋米大統領選挙後に元対ドル相場の変動幅を拡大する可能性が高い。その場合、日本企業は元高のみならず元安にも留意する必要がある。これまでの経験則によれば、経常収支が赤字に転落した場合、元安になる可能性が大いにある。1985年から95年までの10年間、人民元の切り下げは五回もあったが、いずれも経常収支が赤字に転落した年または翌年に起きたことである。従って、我々は中国の経常収支の動きを注意深く見守る必要がある。

      二つ目は、日本企業は人民元切り上げ議論に左右されず、対中戦略の構築を急ぐべきである。巨大化する中国をどう取り込むか、中国の低コスト構造や人材をどう生かすか。中国の活力を最大限に活用していくことが究極の課題となる。

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