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【中国経済レポ−ト】
【中国経済レポ−ト】
中国黒洞(ブラックホール)が世界をのみ込む
多摩大学教授 沈 才彬
(時事通信社、2010年4月8日発売)
このたび、拙著『中国黒洞(ブラックホール)が世界をのみ込む』が時事通信社によって上梓されました。まえがきの部分は次の通りです。
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私が長期滞在を目的として日本にやってきたのは、今から21年前の1989年のことだった。それ以前にも何度か日本に来たことはあったが、永住者として日本に住み始めたのはこの年からだ。
あれからすでに20年あまりの時間が経過した。その間、ベルリンの壁は崩壊し、旧ソ連・東ヨーロッパ社会主義諸国の共産党政権は相次いで瓦解した。ところが、同じ社会主義国である中国は、他の旧社会主義国とはまったく違った変貌を遂げた。日本に移住した89年、まさかこのような変化が起こるとは想像すらしていなかった。
それでは、なぜ旧ソ連・東欧の社会主義諸国が崩壊の道を進んでいったにもかかわらず、中国だけは崩壊するどころか、急速な台頭を遂げることができたのだろうか? 1990年代に、当時の最高実力者・ケ小平は香港のある華人実業家から、似たような質問を受けたことがある。ケの答えは次のようなものだった。
「実は、私は資本主義に学んで、社会主義を良くしたのである」
極めて明快な答えである。
言い換えれば、社会主義の危機の時、資本主義的な手法の導入は極めて有効であるということだ。中国が資本主義の手法とみられる市場経済を導入し、共産党の決議に「社会主義市場経済」の導入を明記したのは、旧ソ連崩壊直後の92年のことだった。事実、中国における20年近くにもおよぶ挫折なしの高度成長は、まさにこの年からスタートしたのである。
ケ小平の発言が続く。
「改革せず開放しなければ中国は死ぬしかない」
もし改革・開放の導入がなければ、中国は台頭するどころか、旧ソ連・東欧と同じように崩壊の道をたどったかも知れない。
ところがベルリン壁崩壊から20年後、東西冷戦に勝ち抜き、資本主義の牙城として君臨するアメリカを金融危機が襲う。この危機を克服するため、アメリカ政府は銀行への公的資金注入、もしくは国有化、公共投資拡大などの危機対策を打ち出した。これらの政策は基本的には社会主義的な手法を特徴とするものである。
資本主義の牙城さえも社会主義的な手法を導入せざるを得ない。まさに歴史の皮肉ともいえる。要するに、自浄能力がなければ、社会主義も資本主義も世界から退場させられる恐れがあるということだ。
話を元に戻そう。日本に移住してからの20年間、いったい中国ではどのような大きな変化が起きたのか。
まずはGDPの変遷を通して中国の変化を見ていくと、89年から08年までの20年間、年平均で9・9%の高度成長を達成していることがわかる。1990年当時、中国のGDP規模は僅か三八七八億ドルで、日本の九分の一、アメリカの一五の一に過ぎず、世界の中で10位以下だった。ところが08年になると中国のGDPは四兆二九五三億ドルにのぼり、アメリカの三分の一、日本の九割に相当し、今や米日に次ぐ世界第3位の経済大国となった(図1)。おそらく2010年は日本を抜き、世界第2位に躍り出ることになるだろう。まさに驚異的な変化といっていい。
世界はこれまで、経済成長の大きな波を四度経験してきた。第1波は、18世紀半ばころのイギリスの産業革命である。このときの象徴は蒸気機関車だった。第2波は、19世紀後半のアメリカの台頭である。この時期、アメリカでは電気や自動車、飛行機が発明され、そのことに大きな影響を受けた世界経済は新たな発展段階に入ることができた。第3波は、1960年代の日本と西ヨーロッパ諸国の高度成長だ。これにより世界経済は飛躍的に拡大した。第4波は、90年代にアメリカで起きたIT革命である。IT革命がもたらした経済への影響は絶大で、世界経済にとって非常に大きな推進力となった。
そして第5の波となるのが中国発の市場革命である。この第5の波が世界市場においてどのような意味を持ち、日本経済はもちろんのこと世界経済にいかなる影響を与えるのか。本書ではこれらのことについて詳しく説明していくつもりである。
マクロ的な視点からだけでなくミクロ的な視点から中国を捉えても、この20年間の変化は面白い。
社会主義中国のシンボルである毛沢東を例にとってみよう。社会主義革命を成功させた毛沢東は、今も天安門広場の城壁に巨大な肖像画が掲げられるほど重要な存在であり、中国のシンボルであり続けている。
その一方で、中国にはもう一つの「毛沢東」が出現した。今や市場経済のシンボルとして全国民から熱烈に欲されるようになった100元札の毛沢東だ。
このような新しい*ム沢東の出現は、ある意味で皮肉な出来事でもある。
毛沢東の秘書が残した回顧録には、毛はお金が大嫌いだったということが書かれている。彼の給料や印税などはすべて秘書が管理しており、お金を毛嫌いした彼は自分の手で札や硬貨を一度も触ったことがなかったのだ。
マルクス主義者の彼は、お金を汚い存在だと考えていた。マルクスの代表的な著作である『資本論』の中には、「資本というものは、生まれた日より頭から足まで汚い血液が流れている」という文言があり、彼はこの言葉をかたくなに信じていたのである。
社会主義のシンボルとしての「毛沢東」と市場経済のシンボルとしての「毛沢東」――。死後30年以上も経過しているが、中国にはこれら二つの「毛沢東」が厳然と存在している。中国と向き合う際には、こうした中国の二面性を知ることが理解のための助けとなる。
世界経済がリーマンショック以降の金融危機から完全に立ち上がれない状況にある中で、中国経済だけが活況を呈している。だが、今後も中国の好況が続き、右肩上がりの成長が維持されるかどうかはわからない。中国の前途にはさまざまな試練が待ち受けている。
それらの試練の代表的なものが、2013年問題だ。この年、今の胡錦濤政権から次の政権へと権力が移譲されることになる。過去の中国の経験則からいうと、政権交代の年は不安定な状況に陥りやすいという事実がある。仮に政治が不安定になれば、経済成長にも大きなマイナスの影響が出る。
過去50年間、中国は実に6回もの経済挫折を経験してきた。私が調べたところ、この6回の経済挫折は例外なく政変の年に起きている。新中国の歴史において、トップ交代が平和的に行われたのは、江沢民政権から胡錦濤政権に移行したときだけなのだ。そのほかは、常に異常事態が原因でトップ交代が行われ、その影響で経済活動に大きな混乱が生じた。
1976年の毛沢東主席の死去に伴い、華国鋒に権力が移譲される際には、四人組との激しい対立が発生した。最終的には四人組の逮捕によって混乱は終息に向かったが、経済活動へのダメージは避けられなかった。
華国鋒から胡躍邦へと政権が変わるときには、華国鋒の失脚が原因で政権交代が起きている。さらに胡躍邦も失脚し、それによって趙紫陽がトップになった。その趙紫陽も前任者と同じように失脚という道をたどり、江沢民がトップになっている。
このように、江沢民体制から胡錦濤体制への移行だけが、新中国成立後、初めて平和的に行われた政権交代なのである。
中国にとって最大の懸念材料はいつの時代も政治の問題だった。このことは今も変わっておらず、中国政府は常に神経を尖らせている。
13年、胡錦濤から次のリーダーへと権力が譲渡されることになる予定だが、果たしてどのような形で政権交代が実現するのだろうか。もし権力闘争が起これば、経済成長が挫折するのは間違いない。さらに悪いことに、混乱が長期化および深刻化するようなことになれば、これまで築き上げてきた経済成長の成果が崩壊し、後退の道へと転がり落ちることさえもありうる。
政権交代はスムーズに行われることになるのか、それとも過去が物語るように混乱にまみれることになるのか。いずれにしても13年は注視しなければならない年となる。
中国で起きている変化は実に速い。その変化の速さの原動力となっているものは、急速に成長している中国経済であることはいうまでもない。この発展著しい中国経済について、中国ビジネスに関わる経済人だけでなく、一般の読者にも理解してもらいたいというのが、本書に込めた私の思いである。 アメリカ発の金融危機は、日本経済に大きな打撃を与えた。日本の銀行への影響は限定的で、傷は浅いといわれているが、実体経済への影響はかなり大きなものになっている。
金融危機後の経済成長の振幅を見た場合、先進国の中で日本の転落率が最も大きい。株価の下落率も金融危機の震源地であるアメリカよりも大きかった。なぜこんな現象が起きたのか。中国経済との関連も考えながら、その原因についても分析していきたい。
中国経済は、今後も急激に変化していくことになるだろう。経済成長に伴い、中国市場はますます肥大化し、黒洞(ブラックホール)のように世界のモノ、カネ、ヒトをどんどん吸い込んでいく。日本は受け身にまわり、中国黒洞≠ノ吸い込まれる道を選ぶのか、それとも積極的にこれを取り込んでいくのか。日本企業、ひいては日本経済の命運がここに決められるといって過言ではない。
経済成長に伴い肥大化する中国市場を相手に、日本はどのように対応していくべきなのか。日本の取るべき戦略についても考察し、読者に具体的な方策を示していこうと思っている。
【主な内容】
第1章 外部危機に強く,国内政変に弱い中国経済
第2章 中国13億人の“黒洞”
第3章 中国「爆消」時代―世界を席捲する巨大市場の行方
第4章 中国市場に舵を切れ―迫られる日本の戦略転換
第5章 2020年に中国人1000万人が日本を訪れる
第6章 中国ビジネスリスク
終 章 東アジアに中国市場圏が形成―どうする日本