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【中国経済レポ−ト】
【中国経済レポ−ト】
中国のインフレ懸念と持続的な成長戦略

多摩大学教授 沈 才彬

(《エコノミスト》誌2010年3月16日号)

  • 住宅バブル懸念する中国政府
  • インフレを判断する4つの基準
  • 人民元切り上げの着地点を探る
  • 日本企業は中国重視へ戦略転換を 中国経済にインフレ懸念が出始めている。中国政府の考え、判断基準は。また、中国の高成長は続くのか。

    中国の中央銀行である中国人民銀行が、2カ月連続で預金準備率を引き上げた。1年7カ月ぶりの引き上げとなった今年1月18日の0・5%に続き、2月25日にも0・5%の引き上げを実施。引き上げ後の預金準備率は、中国銀行など大手国有商業銀行で16・5%となり、約6000億〜8000億元(約7・9兆〜10・5兆円)の資金が金融機関から吸い上げられるとみられている。

    預金準備率とは、人民銀行が金融機関に強制的に預け入れさせる資金の割合のこと。その目的は金融機関による融資総額を調整することで、預金準備率が引き上げられれば中央銀行に預け入れられる資金が増え、金融機関は融資に使える資金が少なくなる。つまり、金融引き締め策の1つである。逆に、預金準備率が引き下げられれば、金融機関は融資に使える資金が増えるため、金融緩和になる。

    中国は、2008年9月のリーマンショック以降、景気刺激のために金融緩和を続けてきた。今回、人民銀行が金融引き締めに動いた背景には、インフレに対する警戒感がある。

    ●住宅バブル懸念する中国政府

    中国経済が高成長を続けるなかで、中国政府は過熱する経済を抑制するために金利の引き上げや銀行貸し出しの総量規制などの金融引き締め策を行ってきた。ところが、リーマンショックが起きると、中国政府は金融緩和に動き出す。翌日には6年7カ月ぶりの金利引き下げに加え、8年10カ月ぶりの預金準備率の引き下げを断行。銀行貸し出しの総量規制も撤廃した。わずか1日で180度の政策転換を行ったのだ。その1カ月余り後には、4兆元(約52兆円)にのぼる大規模な景気刺激策を行うことも決めた。これらの政策により、中国は世界金融危機の影響を最小限に抑え、先進国経済の落ち込みを尻目にV字型回復を達成した。

    だが、その一方で膨大な余剰資金が市場にあふれ出している。それを生み出しているのが、金融機関の新規貸出残高の増加、輸出の増加、直接投資の増加の「3つの増加」である。

    08年の金融機関の新規貸出残高は約5兆元だった。ところが、金融緩和策により、09年は2倍の約10兆元に膨らんでいる。また、輸出は昨年12月、14カ月ぶりにプラスに転じて17・7%増に、今年1月も同21・0%増と2カ月連続の増加となった。直接投資は、09年8月から今年1月まで6カ月連続のプラスで、実行ベースでは昨年12月は前年同月比103%増、今年1月は同32%増となっている。

    問題は、余剰資金の一部が、実体経済ではなく不動産市場や株式市場に流れていることだ。中国の住宅価格は08年12月から09年5月まで6カ月連続で前年同月比マイナスだったが、09年6月以降プラスに転じ、都市部を中心にバブル状態といえる価格高騰が続いている。例えば、全国主要70都市の住宅価格上昇率は、昨年12月で前年同月比5・9%、今年1月は同9・5%だ。株価も08年に比べ09年は80%上昇している。また、輸出企業支援のため、中国当局は人民元売りドル買い介入で元の対ドル相場が上昇するのを抑制している。直接投資も人民元建て。中国国内ではこのように人民元の資金があふれている。こうした過剰流動性の問題によって、インフレ懸念が高まっているのである。

    実際、中国の消費者物価指数(CPI)は昨年11月に9カ月ぶりにプラスに転じたあと、12月には前年同月比プラス1・9%、今年1月は同1・5%と2カ月連続で1%台を回復している。生産者物価指数(PPI)も昨年12月は前年同月比プラス1・7%、今年1月は同4・3%と上昇している。

    特に、不動産価格の上昇は大きな懸念材料だ。中国の投資全体に占める不動産投資の比率は2割前後。国内総生産(GDP)に占める比率は約1割である。また、雇用効果も大きく、建設業は農民工(戸籍は農村だが農業に従事しない出稼ぎ労働者)を大量に採用している。鉄鋼や建設資材、建設機械、金融など、分野はさまざまにわたっている。

    米国発の世界金融危機は、住宅バブルの崩壊がきっかけだった。中国政府はこれを警戒している。今回の人民銀行により預金準備率の引き上げは、中国の住宅バブル崩壊への警戒感の表れなのだ。その予防措置として、人民銀行は準備率の引き上げを2回実施したのである。

    ●インフレを判断する4つの基準

    ただし、現在の中国経済がインフレに突入しているのかどうか判断するのはまだ十分ではない。

    現在のところ、インフレ率(CPI)は昨年12月が1・9%、今年1月が1・5%と1%台にすぎず、インフレになるかどうかの判断基準は3%である。北京五輪が開催された08年は明らかに過熱状態にあり、上半期のインフレ率は7・9%、なかでも5月は8・5%とかなり高水準であった。これに比べれば、1%台は適正水準といってもいい過ぎではない。

    では、中国政府はインフレについてどのように考えているのか。08年8月、筆者が現地調査のために中国を訪れ、政府高官に中国経済とインフレについて尋ねたところ、きわめて明快な答えが返ってきた。政府高官の話によれば、中国政府が警戒していたのは「2つの8%」だった。それはインフレ率が8%を上回らないようにすること、そして、経済成長率で8%を超えるようにすることである。

    インフレ率が8%を超えると、物価が上昇するなど生活不安が高まり、それが社会不安につながりかねない。また、成長率が8%を下回ると中小企業を中心に倒産が急速に増えることになる。失業者が増加することで、雇用問題が表面化する。これも社会不安につながりかねない。社会不安を引き起こさないためには、インフレ率8%以下、経済成長率8%以上のラインを死守しなければならない。このことから考えても、現在の状態は中国経済がインフレに陥っているとはいえないであろう。

    ただし、その一方でインフレ圧力は増大している。その1つが、今年は資源高が見込まれることである。昨年は世界金融危機による需要減退で資源価格は下落したが、今年は資源高になる可能性が高い。09年の中国資源類の輸入(数量ベース、前年比)増加率をみると、中国の資源類の輸入は急増している。中国の旺盛な需要が背景となっているわけだが、本来なら過去の「常識」からみれば中国の輸入が急増すると資源価格は高騰していた。しかし、昨年は資源安だった。

    その理由を、主要国の粗鋼生産増減率でみるとわかる。09年に主要国で粗鋼生産量が増加したのは、中国とインドのみで、欧米をはじめとする先進諸国では粗鋼生産量は大きく減少している。そのため、粗鋼の原料である鉄鉱石の09年の価格は、08年に比べ37%も下落している。

    昨年の中国の実質経済成長率は8・7%だが、今年は9%台は間違いないと推測される。世界経済も今年は好転する可能性が高く、日米欧の景気がある程度回復すれば資源需要が増加し、再び資源価格の高騰が予想される。このため、需要が旺盛な中国のインフレ圧力が高まるのだ。

    私見であるが、中国のインフレの判断基準は4つある。CPIの3%台への上昇、PPIの10%台への上昇、第1四半期(1〜3月期)のGDP成長率11%台、住宅価格の10%超への上昇、である。中国政府はこれをもって総合的に判断し、対策を行う。

    その対策とは、次の4つである。1つは、さらなる預金準備率の引き上げだ。08年はほぼ2カ月ごとに預金準備率が引き上げられているから、インフレと判断されれば預金準備率は今後も引き上げられていくだろう。2つ目は、政策金利である貸し出し基準金利の引き上げで、これは08年12月から据え置かれたままである。3つ目は、金融機関の貸し出し総量規制や融資の抑制を金融機関に求める「窓口指導」である。そして最後に、人民元の切り上げ容認などが行われるとみられる。

    3月には全国人民代表大会(全人代)が開催される。経済指標の発表などで懸念が現実となった場合、対策が具体的に動き出すのは5月になる。

    ●人民元切り上げの着地点を探る政府

    人民元の切り上げ問題は、中国経済にとってのもう1つの大きな問題だ。

    米国をはじめ、欧州などでも人民元の切り上げを求める声が強まっている。米国では、オバマ大統領自らが人民元切り上げについて2度言及している。それは、米中間で「2つの10%」が問題になっているからだ。1つは09年10〜12月にかけて米国の失業率が10%台となり、10年の失業率も年平均で10%台であると予測されていること、もう1つが中国の第4四半期(09年10〜12月)の実質経済成長率が10・7%と08年第2四半期以来の2ケタ成長となったことである。

    米国は失業率にみられるように雇用が悪化しており、雇用創出のために製造業を復活させようとしている。しかし、米国市場には安価な中国製品があふれ、これが米国の雇用を奪っているとしている。この結果、米国はさまざまな面から中国政府に圧力をかけている。昨年9月、オバマ政権3年間にわたって最大35%の追加課税を課すとする中国製タイヤに対する特別セーフガード(緊急輸入制限)措置を発表した。これに加え、オバマ大統領が訪中した09年11月を境に、割安な為替水準に抑えられた人民元を切り上げるように求める動きが強まっている。人民元高になれば、米国への輸出が減少し、米国の製品が競争力を持つことができるという計算があるからだ。

    これに対し、セーフガードについては中国政府・商務省が米国産の一部自動車と鶏肉製品に反ダンピング措置を開始。人民元切り上げについては反発しているのが現状だ。

    この人民元切り上げ要求という「外圧」に、中国政府が屈することは、まずないと思われる。だが、中国が着地点を探っていることは確かである。中国経済の実体、特に輸出産業の実体をみながら容認し、一度きりではなく、何度か緩やかに人民元切り上げを実施していくと思われる。その1つのタイミングは、やはり全人代後の5月であると考えられる。

    ●日本企業は中国重視へ戦略転換を

    こうしたなかで、中国経済は一時的な挫折を経験するかも知れないが、20年ごろまでは年平均7%の成長率を持続するとみていいだろう。

    その理由として、まず中国の工業化が未完成であることが挙げられる。全国的に工業化は7割程度完成しているが、3割が未完成だ。

    また、都市化も完全ではない。そのため、農村部から都市部へ年2000万人が移動している。単純に計算すれば、5年ごとに1億人の新たな巨大市場が登場。都市部の所得は、政府統計では農村部の3.3倍だが、農民には社会保険や年金制度がないため、実質6倍の格差があるとみられる。これが中国経済成長の原動力となっており、都市化の進展が中国のGDP成長率に年3ポイント押し上げているとみられる。

    そして3つ目が、中間層・富裕層の急増である。中間層・富裕層という定義に明らかなものはないが、07年の中国政府高官の発言によれば、中間層は年収100万〜800万円で人口数8000万人、富裕層は年収800万円以上で、人口数2000万人おり、年10%ずつ増えているとしている。中間層、富裕層の急増は、経済成長の原動力だ。

    こうした中国に対し、日本企業は戦略の転換を図らなくてはならない。日本企業は、米国中心の戦略を立ててきた。そのため、米国発の金融危機といわれながら、日本経済の低迷は米国よりも著しい。これは、日本の経済構造や日本企業の海外戦略が米国中心だったからだ。今回の金融危機の教訓は、米国中心の戦略には限界があるということ、中国をはじめとする新興国中心の戦略に転じるべきだということだった。だが、多くの日本企業には未だに中国を中心とするビジネス戦略が持たない。

    日本企業の従来の中国進出には2つのパターンがある。1つは輸出志向型で、中国で生産した製品を海外に輸出するというもの。そして、もう1つが、中国国内で生産した製品を、中国で売るというものだ。日本企業は前者が中心だったが、前者の戦略をとってきた企業は大打撃を受けたが、後者の戦略を進めてきた企業は、さほどのダメージはない。世界の工場として中国を活用するより、巨大な市場として中国市場を狙う戦略に転換しなければならないことに気づくべきだろう。

    中国経済は今、構造的な転換を遂げようとしている。01年の世界貿易機関(WTO)加盟後、中国の輸出は年2〜3割の拡大を続けてきた。しかし、リーマンショック以降、輸出は急減し、09年は16%減となっている。輸出に代わり中国経済を牽引しているのが、投資と消費という内需なのである。

    日本企業が中国ビジネスに対する戦略を転換しなければならないことは、明らかである。