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【中国経済レポ−ト】
【中国経済レポ−ト】
中国経済:内需で景気底打ちへ

株式、不動産、自動車販売など景気回復の兆しが見える中国経済。外の経済危機には強いが、内の政治情勢に脆い。失業率を「繕い」、政治不信の回避に躍起になっている。

多摩大学教授 沈 才彬
2009年5月25日《日経ビジネス》誌

  • 対米輸出が悪くない
  • 底を打った株式・不動産
  • 「外の危機には強い」歴史
  • 最大のリスクとなる「政変」
  • 2009年は節目の年
  •  昨夏の北京五輪後の動向に世界が注目した中国経済は、直後に起きたリーマン・ブラザーズ・ショック、そして世界同時不況によって明らかに腰折れした。それから半年。足元の中国経済の状況を調べるため今年3月26日〜4月3日に上海市、深?市、寧波市(浙江省)、広州市(広東省)などを訪れた。そこで私は相反する2つの中国を見た。早くも景気回復に向けた期待、鼓動が出ている一方で、得体の知れない雇用への不安が広がる中国である。

    ●対米輸出が悪くない

     寧波市を訪問したのは輸出関連の主力産業の1つであるアパレルの現状を知るためだった。そこには中国大手の雅格爾(ヤーガル)と杉杉集団の巨大工場がある。

     両社とも1フロアに700〜800人がずらっと並び洋服などを作る。壮観なだけでなく、工場内には活気もある。説明によれば、さすがに最近は休日はあるが、平日はフル稼働という。

     金融危機の影響で、アパレル業界の輸出の落ち込みが目立ち、今年の輸出額は昨年比で2桁の減少になると予想されている。ただ内需の下支えで業界全体の売上高は5%減るだけで済むとの見方がもっぱらだ。

     輸出全体で見みても、今年1〜3月期は前年同期比で19.7%の減少となった。中国にとって最大の輸出先である米国経済の失速が、さぞ足を引っ張っていると思われがちだが、実情は異なる。中国税関統計によれば、対米はマイナス14.9%の落ち込みにとどまっていた。

     なぜか。答えを、「世界の工場」と言われる中国南部、有数の輸出基地として知られる広東省の珠江デルタ地区に見ることができる。繊維をはじめ玩具などプラスチック製品、靴や靴下の製造といった労働集約的な工場が集積する中国最大の輸出エリアである。製品は、米小売り大手のウォルマート・ストアーズの店頭などに並ぶものだ。生活必需品が多く、好不況の余波を受けにくい。だから対米輸出があまり落ち込まない理由だ。

     欧州連合(EU)向けではユーロ安とEU諸国の景気後退もあって、同じ時期の輸出額がマイナス22.1%と大きく減った。その結果、輸出全体で見れば20%近い減少となった。対米輸出の中心が高付加価値品だったなら、輸出全体の下げ幅はもっと大きくなっていただろう。

     この4月末、国際通貨基金(IMF)は2009年の中国の経済成長率は6.5%になるとの見通しを発表した。世界全体は戦後で初めてマイナス成長に陥ることを考えれば、中国経済は底堅い。景気回復の予兆を株式、自動車、不動産という3つの分野でかんじることができる。

    ●底を打った株式・不動産

       まず株式市場。代表的な指標である上海総合指数は昨年11月4日に1706で底を打ち、今年の年初から4カ月間で36%も上がった。昨年1年間の下落率が65%だったのとは対照的だ。昨年までは、北京五輪を控えてインフレ懸念があり、政府は金融引き締め策を取ってきた。その影響で株式市場から資金が逃げたが、今年に入って環境が大きくかわった。

     銀行からの貸出は昨年1年間で約5兆元(約72兆円)だったのに対して、今年1〜3月だけで4兆5000億元(約65兆円)が市場に供給された。その一部が株式市場に流れ込み、株高につながっていると考えられる。

     中国株式をめぐる今年の焦点は値下がりではなく、むしろ再び過熱し過ぎることだろう。5月13日現在の指数は2629。2500から3000が今年の最高値圏だと私は見ている。

    株価をはじめ中国経済の立ち直りが早い理由の1つに、民主主義のコストがかからないことが挙げられる。昨年9月に米リーマン・ブラザーズが破綻すると、翌日に中国人民銀行(中央銀行)は金利を引き下げた。同日、金融機関による貸出の総量規制も撤廃した。わずか1日で政策を大転換できる。それが現在の中国経済の強さであり、将来の民主化を目指す際の脆さでもある。

     消費も上向いている印象を受けた。今年4月の新車販売台数は前年同月比25%増の115万台で米国より33万台多い。4ヵ月連続で米国を抜いた。このままいけば、中国は今年、世界最大の自動車マーケットになる。

     背後には政府の景気対策もある。排気量が1600cc以下の自動車には補助金が出るし、減税措置もある。もっとも中国では100人のうち5人しか自動車を持っていない。米国の80人、日本の60人と比べ潜在余地は大きい。

     現地に入る前、不動産についてはバブルが崩壊したままだろうと想定していた。だが、徐々にとはいえ回復の兆しを見せている。

     不動産価格のピークは昨年1月。北京五輪が開かれた8月からは7カ月連続で前月比マイナスという状態が続いた。ところが今年1〜3月における住宅販売は、面積で見ると前年同期比8.2%増、売上額24.7%増えた。住宅購入への意識が上向き始め、今年3月の不動産価格は前月比で0.2%のプラスとなった。

     自動車と住宅という2大消費が伸びることで、今年後半には本格的な景気回復を迎えるだろう。今年の経済成長は、政府が目標とする8%は厳しいだろうが、7.5%程度は実現可能な線だ。

    ●「外の危機には強い」歴史

     世界同時不況の嵐がいまだ猛威を振るう中、7.5%は楽観的すぎるとの指摘もあろう。だがそれは、中国経済の浮沈を巡る1つの法則を知らないゆえだ。法則とは、中国経済が外的要因となる世界経済危機の影響をあまり受けてこなかったというものだ。

     過去の3つの危機を検証してみよう。まずはロシア危機。1990年以降、10年弱に渡りロシア経済はマイナス成長に陥った。同時期、中国はおおむね10%前後の成長を維持した。

     次に97年、タイのバーツ暴落に端を発するアジア通貨危機。翌98年には東南アジア諸国連合(ASEAN)全体でマイナス8%となった。このほか韓国もマイナス6.9%、日本もマイナス1.9%だった。ところが中国だけは7.8%のプラスだった。

     3つ目が2000年に起きたIT(情報記述)バブル崩壊による危機。各国にその影響が出た2001年、中国は8.3%とほぼ前年と同じ水準の成長を果たした。ちなみに日本はこの年0.4%成長となり、前年の2.9%から大きく後退している。

    ●最大のリスクとなる「政変」

     ところが、中国経済がいとも簡単に崩れる時がある。政変など国内情勢が不安定になった時だ。統計がきちんと整っている1964年以降、中国経済が大きく落ち込んだのは5回。いずれも国内の政変が起る前後のことだった。

     最初は文化大革命が始まった翌年の67年。前の年に17%だった経済成長率は一気にマイナス7.2%となった。この年、中国の第2代国家主席となった劉少奇氏が失脚。文革の余波は続き、翌68年も6.5%のマイナスだった。

     その次が76年。ケ小平氏が3度目の失脚をし、毛沢東氏が死去したこの年、文革を指揮した「4人組」が逮捕された。前年の75年には8.3%だった成長率は76年にマイナス2.7%へと転落した。

    3度目が81年。ケ小平氏らとの党内抗争に敗れた華国鋒氏が党主席を辞任し、事実上失脚した年である。前年の7.8%から5.2%へと落ち込んだ。

    13.5%から8.8%へと一気に下落した4度目は86年。民主化要求のデモが起こった年である。翌年1月には、「改革派の領袖」としてケ小平氏の下で、改革・開放を推進した胡耀邦・共産党総書記(当時)が失脚している。

     その2年後には天安門事件が起こり、趙紫陽氏が失脚。これが5度目である。この89年には、前年に11.3%だった成長率が一気に4.1%まで落ち込んだ。

     中国政府は今年3月末現在の都市部における登録失業率が4.3%になったと発表した。日本における3月の完全失業率が4.8%だから、中国の雇用環境は悪くない印象を受ける。ところがこの統計数字にはまやかしがある。農民工と呼ばれる内陸の農村部からの出稼ぎ労働者が含まれていないのである。

    雇用問題に端を発する政治不安、政変が起こることへの危惧が背景にある。実際の失業率は10%ほどになっているだろう。 農民工が多い代表的な工場集積地が、広東省の東莞市だ。同市の戸籍人口は175万人だが、ほかに農民工をはじめ外来人口数は1000万人に及ぶと言われる。その農民工の多くは金融危機で仕事を失い農村部に帰った。

    その実情を知るには、農民工らが居住する地域のゴミの量を見ればだいたい分かる。それは、昨年と比べて今年の春節後には半分に減った。東莞市で生活する農民工の半分が“消えた”ことを意味する。

    また、中国最大の携帯会社、中国移動(モバイルチャイナ)の東莞市の解約数が昨年末から今年2月までで200万件にのぼった。同市の異様な状況がお分かりになるだろう。

     広東省のトップ、汪洋党書記は、「(世界同時不況という)危機をチャンスに変えなくてはならない」とし、技術革新に注力することで、労働集約型から資本集約型あるいは技術集約型に変えるべきだと訴える。一方で先頃、同省を視察した温家宝首相は、「(中小企業の工場群は)中国の経済発展に大きな役割を果たしており、これを支える必要がある」と、雇用を生む労働集約型の産業を重視する。中央政府と広東省のスタンスの違いは明らかだ。

    ●2009年は節目の年

    2000年を境に急増する大学、大学院の卒業者をめぐって、卒業しても就職できないことが問題となっている。今年7月に卒業を迎える学生の7割が、3月末現在まだ内定を得ていない。就職が決まらない不安定な学生心理が時として政府に牙を剥くことは、これまでの歴史から明らかだ。こうした現状に中国政府は神経を尖らせている。

    反帝国主義・反封建主義を掲げ大学生らが立ち上がった五四運動(1919年)から90年、ダライ・ラマ14世がインドに亡命するきっかけとなったいわゆる「チベット動乱」(1959年)から50年。そして「天安門事件」(1989年)から20年。2009年は、中華人民共和国の建国(1949年)60周年にもあたる2009年は、大きな節目の年だ。

    中央政府は失業増による国内情勢に一段と敏感になっている。     (構成:杉山俊幸)