3月中旬に3カ月ぶりの中国出張に行った。北京、上海、寧波などを見回り、躍進する中国の実態は筆者に強烈な印象が残った。そのうちの1つは、急ピッチで進行する産官学幹部の若返りである。

昨年11月に開かれた党の第16回全国代表大会で59歳の胡錦涛副主席は江沢民主席(77歳)からバトンを受け継ぎ、胡新執行部(政治局常務委員)の平均年齢は62歳で改選前より一気に8歳若くなった。それに続き、60歳の温家宝副首相は、今年3月5日開催の「全人代」で朱鎔基首相(74歳)の後任に選ばれた。40歳代の大臣2人(劉志軍鉄道相48歳、張春賢交通相48歳)を含む新内閣の平均年齢は58.7歳。党と政府はいずれも老人支配体制に訣別した。
各地方政府も中央と歩調を合わせ、能力・実績・高学歴を持つ若い幹部を抜擢している。例えば、今回の出張先である上海市では、49歳の韓正氏は市長に、39歳の唐登傑氏と48歳の楊雄氏は副市長に選ばれた。北京市では、35歳の陸昊氏は副市長に選ばれ、中国最年少の副大臣クラスの幹部になった。
実は、2001年6月中旬、筆者がセンタ−長を務めている三井物産戦略研究所中国経済センタ−は、北京市中関村ハイテクパ−クミッションの訪日を受け入れたが、ミッションの団長は正に陸昊氏であった。当時、筆者を驚かせたのは、同氏は34歳の若さで8000社の中国企業と外資系企業を管轄している同パ−ク管理委員会常務副主任(局長クラス)を務めていることだった。日本官庁の感覚でいえば、34歳は係長クラスの年齢であり、局長クラスの役職に就くのは考えられない。
この陸昊氏は、北京大学の修士課程終了後、28歳の若さで5000人の従業員を持つ北京市の大手繊維企業の社長に就任した。辣腕で国有企業の改革を断行し成功した同氏の実績は、北京視察中の朱鎔基首相に買われ、「登竜門」の基盤ができたのである。
幹部の若返りは出張先の寧波市でも急速に進んでいる。寧波市対外貿易経済合作局の張漢楚副局長によれば、同市では県長・処(課)長クラスは35歳以下、局長クラスは43歳以下の方を選任するという幹部選抜の方針が打ち出されている。
政府機関に限らず、企業や大学のトップも若い。企業を例とすれば、筆者が2年前に訪問したことがあるパソコンメ−カ−最大手の聯想集団公司の楊元慶・社長兼CEOは38歳。自動車メ−カ−最大手の第一汽車の竺延風社長は42歳。ソフトウエア最大手の東方軟件の劉積仁会長と自動車大手の上海GMの陳虹社長はいずれも40歳代。家電メ−カ−最大手の海爾(ハイア−ル)の張瑞敏CEOは今年53歳だが、同社社長に就任したのは18年前の37歳だった。実際、30歳代、40歳代の方が会社トップになることは中国では極めて普通のことであり、驚くほどのことではない。この点ではアメリカと良く似ている。
要するに、今の中国は競争メカニズムを導入し、年功序列制度を抜本的に見直している。能力・実績があれば、若者でも昇進するチャンスが十分にある。若者たちは皆夢を持ち、夢を実現するために頑張る。これは躍進する中国の原動力の1つともなっている。
一方、米中に比べれば、日本の産官学幹部の年齢が高い。前回のコラムで述べたように、中央官庁では40歳を超えないと課長になれず、50歳を超えないと局長になれないという慣例が残っている。企業経営者については、筆者はソニ−、日立、東芝、NEC、富士通、松下電器、三菱電機、NTT、NTTドコモ、ソフトバンクなど日本の代表的なIT企業(電機・通信・インタ−ネット)10社のトップの年齢を調べたが、ソフトバンクの孫正義氏(46歳)を除くと、他の方は全て60歳を超えている。彼らが立派な経営者であることは言うまでもない。しかし、60歳以上の年齢で日進月歩のIT業界をリ−ドするには物理的に限界があるのも事実である。
日本経済の活性化を実現するためには、産官学幹部の高齢化問題を直視し、積極的にその若返りを図ることが不可欠である。