【中国経済レポ−ト】
迫る!人民元切り上げ−年内にも5%程度の変動幅拡大か 変動相場制移行は北京五輪前後に−
沈 才彬
『世界週報』2005年8月臨時増刊号
米国の対中貿易赤字が空前の規模(04年1600億ドル)に膨らむ中、米議会、産業界およびブッシュ政権は、中国政府に圧力を強め、人民元切り上げの早期実現を求めている。
一方、中国政府は「人民元為替レートの改革は中国の主権であり、外圧に屈しない」(温家宝首相)という姿勢を崩さず、元切り上げ問題をめぐる米中間の激しい攻防が続いている。
しかし、中国側の抵抗にも限界があり、早晩切り上げに応じざるを得ないとの見方が有力で、今や焦点はそのタイミングと切り上げ幅に移っているように見える。経済特集では、これらを予測しながら人民元切り上げ後の中国経済をシミュレーションし、日本を含む世界経済にどれだけ影響を及ぼすかを分析している。
●通貨攻防戦は経済攻防の前哨戦
より広い視野で人民元切り上げの問題を見る時、次の2つの視点が必要と思われる。
1つ目は、通貨攻防戦は経済攻防の前哨戦であるという視点である。
近年、中国経済は猛スピードで膨張し、急速に日米欧先進諸国にキャッチアップしている。現在、世界第6位とランクされている中国の経済規模は、2010年までにイギリス、フランス、ドイツを追い越し、世界第3位へ、20年までに日本を抜く第2位へ、50年前後に米国を凌ぐ世界最大の経済パワーになる可能性が高い。こうした中国の凄まじい攻勢に対し、日米欧は守りの姿勢で応戦せざるを得ない。人民元切り上げ問題での米国側の攻勢は、経済防衛戦の側面を否定できない。ある意味で、通貨攻防戦は経済攻防戦の前哨戦とも言える。
2つ目は、中国経済は新たな転換期に入りつつあるという視点である。
2001年世界貿易機関(WTO)加盟後、中国経済は世界経済に溶け込む中、日米欧先進国との金融面のギャップ、知的財産権保護面のギャップ、法律面のギャップが際立ち、さまざまな国際摩擦が起きている。人民元切り上げ問題をめぐるチャイナ・バッシング(中国叩き)は、正に金融面のギャップに起因するものであり、中国が直面する新たな挑戦と試練にほかならない。
言うまでもなく、人民元をめぐる国際紛争の解消は、中国の為替制度と金融システムの改革、資本市場の整備を通じて、金融面のギャップを解消するしか方法がない。中国は元切り上げ問題での「外圧」を生かし、国内改革を加速し、この転換期を乗り切らなければならない。
●避けられない人民元切り上げ
人民元の切り上げ問題は今、日本を含む世界の関心事となっている。結論から言えば、人民元の切り上げは避けられない。その理由は次の2つある。
1つ目は通貨と経済成長の関係にある。中国の高度成長は既に20年以上続いており、世界的に見れば高度成長が20年以上続き、為替水準があまり変わらない大国は中国以外に1つもない。この意味では、これから人民元は中国経済の実力にふさわしい為替水準に持っていかなければならない。
2つ目の理由は、中国のGDP規模に関する2つの評価の間でギャップが大き過ぎることにある。1つは為替レートによる評価であり、2004年時点で中国のGDP規模は1兆6490億jとされる。もう1つは世界銀行の購買力平価による評価方法である。仮に購買力平価による評価をすれば、03年時点で中国のG DP規模はすでに6兆jを超え、日本を上回る規模になっている。この2つの評価の間には4倍以上のギャップがある。換言すれば、中国の人民元は為替レ-トでは過小評価されている。
長期的に見れば、今後20―30年間で人民元は2倍に切り上げられても可笑しくない。しかし現実的には元の切り上げは難しく、その理由は中国の為替制度にある。現在、中国の為替制度は「変動管理相場制」であり、変動の幅が政府の管理下で「0・2%以内」という極端に小さな水準に抑えられている(97年以降、人民元の対ドルレートは8・28元―8.275元)。実質的には米ドルとリンクする固定相場制なので、これを是正して「変動相場制」に移行しない限り、大幅な切り上げが期待できない。
●5%程度なら中国株は上昇に
中国の変動相場制の移行は当面ないと思う。不良債権の処理や資本市場の開放など環境作りが必要なので、変動相場制への移行は北京オリンピック開催の2008年前後になるだろう。現在、現実的に可能なのは元の変動幅拡大である。
これまで中国政府と金融当局は、元変動幅の拡大に関する複数の案に対し検討を重ねてきた。現在、変動幅拡大の準備が既にできており、外圧に屈した格好にならないタイミングを待っている。サプライズ(意外性)効果を狙って、年内にも実施する可能性が高い。ただし、元の変動幅について、米国が要請する10%以上の水準は難しく、5%前後に妥結するのではないかと見られる。
また、将来的には通貨バスケット制度、つまり米ドルだけではなくて、ヨーロッパのユーロ、日本の円など世界主要通貨と連動する為替制度を採用する可能性も高い。
言うまでもなく、現時点では人民元の変動幅を拡大すれば、実質上の元切り上げになる。
元変動幅の拡大が行われた場合、中国経済にどんな影響を及ぼすか。
今年5月、中国国家統計局は人民元を5%前後切り上げれば、輸出10%成長は可能だが、10 %なら輸出はゼロ成長、15%を超えたら輸出はマイナスに転落するという見通しを示した。従って、5% 程度の小幅変動なら輸出企業への影響は軽微であり、中国経済成長率への影響も0.5%にとどまると見られる。むしろ輸入(例えば原油、鉄鉱石など)コストの低減、貿易摩擦の緩和、コスト安に安住する中国企業の国際競争力アップなどメリットの方が大きい。
5%元切り上げを想定した場合、中国の株、不動産、中国ファンドなどはいったいどう動くだろうか。
ここ数年、中国の株価の低迷が続き、今年6月6日に上海証券取引所の株価指数は10年ぶりに安値を更新した。元切り上げを契機に、株価は上向きに転じる可能性が高い。外国投資家は元切り上げの前に中国の株を購入した場合、元高と株価の上昇という二重の楽しみが期待されそうである。同様な理由で、中国ファンドの利益率が拡大する可能性も高い。
元切り上げによる不動産価格への影響はプラスになりにくい。ここ数年、不動産分野への投資は過熱状態が続き、不動産価格(特に北京、上海)が高騰している。結果的には株式投資の不振と株価の低迷をもたらしている。しかし、来年から中国経済は調整局面に入り、不動産価格の調整も避けられないと見られる。元を切り上げれば、一部の外国投機資金は不動産分野から撤退する懸念があり、不動産価格の下落に繋がる可能性が否定できない。
●日本への影響は限定的 円高への連鎖反応には注意が必要
また日本を含む世界経済をどれだけ揺るがすか。
日本経済の影響について、元切り上げが実施された場合、一般的には輸出業者にプラス、輸入業者にマイナスと言われる。しかし筆者は、個別企業では影響が大きいが、日本企業全体では上げ幅5%なら影響が限定的なものにとどまると見ている。多くの日本企業は既に中国に進出しており、対中輸出も輸入もしているため、プラス影響とマイナス影響が相殺した結果、直接的な影響は実際小さいからである。
むしろ懸念すべきことは、元切り上げ→アジア通貨高→円高というマーケットの連鎖反応である。円相場は元相場の変動に振られ、企業の為替リスクの増大が避けられない。この点は日本企業が特に要注意である。
大きな問題は5%程度の変動幅拡大で、元切り上げ圧力を緩和することができるかどうかにある。一旦堰を切れば、人民元切り上げの期待感がますます高まり、04年約1000億jにのぼる国際ホットマネーの中国流入はさらに加速する。変動幅拡大→ホットマネー流入加速→元切り上げ圧力増大→追加的元切り上げ、という連鎖反応が起きれば、バブルの崩壊と経済成 長の挫折が避けられない。これは中国の悲劇のみならず、成長エンジンを失う世界経済への打撃も甚大である。
従って、望ましい人民元改革は柔軟性と安定性を両立させるものであり、過度な圧力による急速な元切り上げは、中国のみならず世界各国の利益にもならないだろう。
【しん さいひん】
1944年中国江蘇州生まれ。81年中国社会科学院大学院修士課程修了、中国社会科学院助教授、東京大学客員研究員、一橋大学経済学部講師などを歴任、93年三井物産戦略研究所主任研究員、2001年より現職。著書に『中国経済読本』(亜紀書房)『チャイナショック』(日本能率協会マネジメントセンター)など。
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