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【中国経済論談】
【中国経済論談】
トランプ流交渉術と朱鎔基元首相の「奇襲作戦」〜日米関税交渉への示唆〜

中国ビジネス研究所代表、多摩大学大学院フェロー沈 才彬

●はじめに

 国際交渉の歴史において、国家指導者が突然閣僚級協議に参加する「奇襲作戦」は稀有ながら決定的な効果を発揮することがある。2025年4月、トランプ米大統領が日米関税交渉に直接参加した異例の行動は、1999年11月に中国の朱鎔基首相(当時)が米中WTO加盟交渉で見せた「奇襲作戦」を想起させる。

 本稿では、@トランプ氏の異例参加の狙い、A朱鎔基元首相の奇襲作戦の効果、B両者の手法の共通点と相違点、C日本の今後の交渉対応策など4つの観点から、指導者による「交渉の劇場化」の戦略的意義を分析する。激動する国際経済秩序の中で、日本が自国の利益を守りつつ戦略的対応を取るための示唆を探る。

●交渉の劇場化と圧力の最大化〜トランプ氏の異例参加の狙い

 2025年4月、トランプ米大統領が日米閣僚級関税交渉に突然参加した背景には、計算された複数の戦略的意図が存在する。

 第一に、交渉の劇場化による心理的圧力の行使である。トランプ氏はこれまで「予測不能」「不意打ち」を交渉術の核心としてきたが、今回の参加はその典型例と言える。

 実際、交渉の場にはトランプ大統領から赤澤経済再生担当大臣に「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」と記された赤い帽子が贈られるという演出も行われ、交渉の場を「トランプ・ショー」に変容させた。このような演出は、日本側交渉チームに対し、大統領自らが関与しているというプレッシャーを与える効果を狙ったものである。

 第二に、交渉レベルを一気に政治決断の次元に引き上げる思惑がある。通常、閣僚級交渉は専門的な議論が中心となるが、指導者が直接参加することで、実務的レベルを超えた政治的な取引が可能となる。

 第三に、中国に対する間接的なメッセージとしての狙いだ。トランプ政権は現在、中国に対して145%という前例のない高関税を課しており、中国を孤立させる明確な戦略目標としている。このような状況下で、日本を「好ましい国」として位置づけつつも大統領自らが交渉に参加する姿勢を見せることで、中国に対し「早期に交渉に応じなければさらに不利な立場に立たされる」という圧力をかける意図が働いている。

 実際、ウィルバー・ロス元商務長官は「中国を孤立させるためのプロセスにある」と明言しており、日本の対応が他の同盟国への見せしめとして機能することが期待されている。

 第四に、国内政治へのアピールという側面も看過できない。トランプ氏は伝統的な労働者層の支持を基盤としており、彼らに対して「アメリカ第一」を掲げて強硬に交渉するリーダー像を演出する必要がある。交渉参加の様子がメディアで報じられることで、支持基盤に対して「大統領自らがアメリカの利益を守っている」というパフォーマンスを提供できる。

 これらの戦略的意図を背景に、トランプ氏は交渉後「私たちは急いでいない」と述べつつも、「日本が協議の最優先だ」とコメントし、一見矛盾するメッセージを意図的に発信している。このような「予測不能性」こそが、トランプ流交渉術の核心であり、相手に譲歩を迫る心理的圧力をかける手段と言える。

●歴史的転換点を作った決断〜朱鎔基元首相の「奇襲作戦」

 トランプ氏の閣僚級交渉への突然「介入」は異例と言えるが、前例がない訳でもない。1999年11月、中国の朱鎔基首相が米中WTO加盟交渉に突然参加した「奇襲作戦」は、国際交渉史に残る劇的な一幕として知られている。

 当時、行き詰まっていた閣僚級協議に朱首相が自ら飛び込み、大胆な譲歩案を提示したことで、膠着状態にあった交渉が一気に妥結へ向かった。このエピソードは、国家指導者が直接交渉に関与する戦術的価値を如実に示している。

 朱鎔基氏の奇襲作戦がもたらした第一の効果は、官僚的な旧習を飛び越えた政治決断の可能性を開いた点である。当時の貿易副大臣兼WTO加盟交渉首席代表竜永図氏の回顧録によれば、1999年11月、北京で行われた中国のWTO加盟をめぐる米中二国間交渉は暗礁に乗り、一時的に決裂の寸前となっていた。中国のWTO加盟のカギを握る米中交渉は最大の山場を迎える。その時、朱鎔基首相が動いた。

 朱首相は当時の貿易大臣石広生氏と竜氏に「私が交渉に出る」と決意を表明した。驚きを隠せぬ2人は難色を示し、「朱総理、あなたは一国の総理ですよ。もし交渉が上手く行かなければ、再交渉の余地が無くなります。だから、私たちは総理の直接交渉に賛同できません」と、反対の意思をはっきり表明した。

 だが、朱鎔基氏は逃げなかった。「君たちは何年も交渉を続けたのにもかかわらず、まだ決着をつけることができなかった。私が交渉に出てはいけない理由はどこにあるのか?」朱首相の不満は限界を超え、一気に爆発した。

 結局、江沢民国家主席をはじめとする中央執行部は緊急会議を開き、朱首相、銭其せん副首相、呉儀国務委員、石大臣、竜首席代表ら5人がアメリカの代表3人と交渉することを決めた。

 この「トップダウン」のアプローチは、下位レベルでの積み上げ型交渉では達成困難なブレークスルーをもたらしたのである。

 第二の効果は、交渉の力学を一変させた心理的インパクトである。朱鎔基首相の登場は米国側交渉団にとって完全な「不意打ち」であり、これにより中国側の本気度が一気に伝わることができた。交渉の場に朱首相自らが現れるという行為自体が、「この機会を逃せば合意は遠のく」という緊迫感を生み出し、米国側の対応を促す強力なシグナルとして機能した。

 トランプ大統領の日米交渉参加も同様に、日本側に「この機会を逃すな」という心理的圧力をかける効果を狙っていると言える。

 実際、前出の竜氏の回顧録によれば、翌日、アメリカ側の代表は閣僚級交渉に突然出てきた朱首相の姿に驚きを隠さなかった。交渉の冒頭で、朱首相は自ら整理した七つの難問の1つを持つ出し、アメリカ側に譲歩した。すると、石大臣は慌てて「譲歩すべきではない」と書いてあるメモをこっそり朱首相に渡した。しかし、朱首相はそれを無視し、引き続き2つ目の難問を持ち出しアメリカ側に譲歩した。石大臣は再び「この問題は譲歩すべきではない」と書いてあるメモを朱首相に渡したが、朱首相は「メモを書くな」と一蹴した。

 それから朱鎔基氏はアメリカ代表に「七つの問題のうち、2つは私が既に譲歩した。これは中国政府の最大限の譲歩だ」と交渉相手の譲歩を迫った。最後に「これ以上譲歩すれば、総理としての私はクビになる」とユーモアも忘れなかった。

 これまでの米中WTO交渉は、市場開放の範囲やスケジュールをめぐって技術的な議論が続き、大きな進展が見られない状況だった。朱首相が突然交渉の場に現れ、農業や金融サービスなどの重要分野で従来の中国の立場を超える譲歩案を提示したことで、交渉は一気に政治決断の段階に移行した。

 当時、アメリカの首席交渉代表は米通商代表部長官バーシェフスキーだった。当然、彼女は政治決断できる立場にある人物ではなかった。そこで、彼女は朱首相に30分休憩を提案し、欧州訪問中のクリントン大統領に報告し指示を仰がなければならないからだ。秘密漏れを防ぐため、彼女は交渉場所の中国対外貿易省(現商務省)庁舎の女性トイレに入り、携帯電話でクリントン大統領と連絡をとった。米中交渉妥結に関する大統領の理解と許可を得て、交渉場所の会議室に戻った。

 結局、アメリカ側は残る5つの問題で中国側の案に歩み寄り、交渉が遂に妥結した。朱鎔基首相の決断力とリーダーシップおよび「二歩退き五歩進む」という交渉術は、WTO加盟交渉の最大の難関突破に導いた。2001年12月、中国はWTOの正式メンバーとして承認され、15年にわたる長期交渉が遂に幕を閉じた。

 第三の効果として、国内の反対勢力を抑える政治的権威の活用が挙げられる。WTO加盟には中国国内の保護産業からの強い反発が予想される。農業、金融業、自動車産業などからの反対が特に強かった。朱鎔基氏は首相としての権威を背景に「改革開放」の大義を掲げ、反対を押し切る政治的リーダーシップを発揮した。この点はトランプ氏の手法とも通じるものがある。

 トランプ米大統領は各国・地域に課す相互関税を公表したホワイトハウスでの演説で「今日は解放の日だ」と宣言し、「アメリカ史上で最も重要な日のひとつになる」と位置づけ、自らの支持層に対して強硬な交渉姿勢をアピールした。指導者自らが先頭に立つことで、国内の抵抗を抑えつつ政策を推進する効果を狙う思惑が透けて見える。

 朱鎔基氏の奇襲作戦が成功した背景要因として、周到な準備とタイミングの選択も見逃せない。朱首相が交渉参加前に米国側の立場や妥協点を詳細に分析し、どこまで譲歩可能かを明確にしていたと言われる。同様に、トランプ氏の日米交渉参加も、事前にベッセント財務長官らと入念な準備を行った上での「計算されたサプライズ」であった。両者とも「予測不能」を装いながらも、実は緻密な戦略に基づいて行動している点が特徴的である。

 朱鎔基のWTO加盟閣僚級交渉への直接参加は結果的に、中国経済の画期的な転換点となった。WTO加盟によって、中国は「黄金の20年」を迎え、世界第二位の経済大国の基盤を築き上げることができた。

 この歴史的な経験は、国家指導者が直接交渉に関与する戦術的価値を示すとともに、日本のような交渉当事国にとっては「トップが動いた時が真の交渉の始まり」という認識を持つことの重要性を示唆している。

●共通点と相違点から見る指導者交渉術の本質

 トランプ大統領の日米関税交渉参加と朱鎔基首相のWTO加盟交渉「奇襲作戦」は、一見似ているように見えるが、重要な相違点も存在する。両者のアプローチを比較分析することで、国際交渉における指導者の役割と効果的な関与のあり方が浮き彫りになる。

 両者の最も顕著な共通点は、交渉プロセスを「劇場化」し、不意打ち要素を利用して心理的優位に立とうとすることにある。

 朱鎔基元首相は当時、予告なしに閣僚級会議に登場し、米国側交渉団を驚かせた。同様に、トランプ大統領の日米交渉「介入」も意図的なサプライズとして計画されていた。このような「予測不能性」は、交渉相手に準備の機会を与えず、心理的な動揺を誘う効果がある。

 第二の共通点は、官僚的な手続きを飛び越えて政治決断を引き出すことを目的としている点だ。朱鎔基氏は技術的な論点にこだわる官僚たちを横目に、政治的な大局観に基づく大胆な譲歩を提示した。トランプ氏も同様に、関税を「交渉の道具」にし、細かい議論より政治的メッセージを重視する姿勢を見せている。両者とも、通常の外交チャンネルでは大胆な政策転換の実現が難しいと判断し、自らが前面に出る戦術を選択したのである。

 第三に、国内政治への配慮が行動の背景にある点も共通している。朱鎔基氏のWTO加盟推進には、「改革開放」という大義名分を掲げ、国内の保守派に対する警告意味を含むメッセージが込められる。同様に、トランプ氏の交渉参加も、支持層に対して強硬な交渉姿勢をアピールし、反対者たちに対しては強く警告する意図が明白だ。

 一方で、両者のアプローチには重要な相違点も存在する。第一の違いは、交渉の戦略的目標である。朱鎔基氏の目的は中国経済の国際システムへの統合という長期ビジョンの実現にあり、WTO加盟はその通過点でしかなかった。これに対し、トランプ氏の関税交渉は「貿易赤字の解消」や「製造業の国内回帰」を目指し、より短期的な利益の追求を主眼としている。

 第二の違いは、交渉スタイルにある。朱鎔基氏のアプローチは基本的に協調的で、「双贏」(Win-Win)をモットーに交渉にあたった。これに対し、トランプ氏のスタイルは明らかに対立的で、相手に譲歩を強要する姿勢が目立つ。

 第三の違いとして、既存国際システムに対する見方が挙げられる。朱鎔基氏のWTO加盟交渉は、中国を国際経済システムに統合することを目指す多国間アプローチの一環であった。一方、トランプ氏の関税政策は国際秩序のリセットを目指すものだとされる。アメリカ側に立つか、それとも中国側に立つかという二者択一を、同盟国を含む各国に迫る戦略をとっている。トランプ氏の関税対策には、国際システムの分断を前提とした行動様式が見られる。

 第四に、歴史的コンテクストの違いがある。両者の行動を理解する上で、時代背景の違いも考慮する必要がある。朱鎔基氏が行動した1999年は、グローバリゼーションが隆盛を極め、経済的相互依存が深化する時代であった。これに対し、トランプ氏が直面する2025年は、米中対立の激化、サプライチェーンの再編、経済安全保障の優先度上昇など、国際経済秩序が大きく変容する転換期である。このようなコンテクストの違いが、両者の交渉アプローチの違いにも反映されている。

 両者の比較から浮かび上がる重要な示唆は、指導者が直接交渉に関与する「奇襲作戦」の効果は、その背後にある戦略的ビジョンの明確さと実行可能性にかかっているという点である。朱鎔基氏の成功は、WTO加盟という明確な目標と、その後の経済発展を見据えた長期的ビジョンに支えられていた。トランプ氏の関税交渉については、単なるパフォーマンスを超えた戦略的深みがあるかどうかが、その真の効果を決定づけるだろう。

●日本は歴史の教訓を活かす戦略的アプローチが必要

 トランプ大統領の異例の交渉参加と朱鎔基元首相の「奇襲作戦」の比較分析から得られる教訓を踏まえ、日本が今後の日米関税交渉において取るべき戦略的対応策を4つの観点から提言する。

 第一に、トップレベル交渉の準備と機動的対応。朱鎔基氏の事例が示すように、指導者が直接交渉に参加する局面では、迅速に政治決断を行わなければならない。

 日本は石破首相の訪米とトランプ大統領との直接会談を見据え、事前に「譲歩可能範囲」と「絶対に守るべき核心的利益」を明確に定義しておく必要がある。現段階で日本側の基本的立場が赤澤経済再生担当大臣の訪米を通じて伝えられているが、トップ同士の交渉ではさらに踏み込んだ提案が求められる。

 具体的には、自動車分野の「非関税障壁」としての安全基準緩和を優先課題としつつ、農産物市場の段階的開放やLNG(液化天然ガス)の輸入拡大など、米国側の要求に一定の配慮を示す「パッケージ交渉」の準備が不可欠である。特に、トランプ氏が「日本にはアメリカ産のコメに700%の関税をかけている」と批判している点を踏まえ、農業分野での譲歩案を用意しておくことが現実的対応と言える。ただし、朱鎔基元首相がWTO交渉で「市場開放のタイミングをコントロール」したように、日本も譲歩のペースを管理する必要がある。

 第二に、交渉分野の戦略的切り分けとリンケージ。トランプ政権は関税交渉と安全保障問題を意図的にリンクさせようとする傾向がある。実際、トランプ氏は赤澤氏との面会で「(日本の)軍事貢献はゼロ」と述べ、日本に圧力をかけたと報じられている。日本は「貿易の話と違う分野の話で、絡めて議論することは正しいと思っていない」(石破首相)として切り離す方針を示している。米国側の要求が強まる場合は、日本側は日米同盟の戦略的価値を強調し、「防衛協力の深化」を提案すべきである。例えば、日本がアメリカの弱点を補う造船分野の日米共同造船構想である。

 第三に、為替問題の「先手管理」と日米協調の追求。現在、為替問題が今回の協議では表面化しなかったが、今後の交渉で再浮上する可能性ある。日本は、「日米協調」を求め、円高圧力を緩和する方策を取るべきである。

 第四に、国際世論の重視と多国間枠組みの活用。現状では、トランプ氏の理不尽な関税対策に対し、国際的にもアメリカ国内でも反対の意見が根強い。トランプ氏の支持率も下がっている。発足から3ヵ月経過したトランプ政権は内政でも外交でも「成果」と言えるものが何もなく、焦りを見せている。日本は国際世論を味方にし、一方的な妥協を回避し国益の最大化を追求すべきである。

 同時に、多国間枠組の活用も視野に入れる。例えば、日本・EU自由貿易協定の拡大、日本・ASEANのFTA交渉や日中韓FTA交渉の開始など。これらの国・地域との連携はトランプ関税へのけん制になりうる。

●終わりに

 日本の国運を決める日米関税交渉において、日本は受身的対応ではなく、能動的な戦略を構築すべきだ。「失われた20年」のきっかけを作った「ブラザー合意」の再現は、日本の新たな「国難」になる。それは絶対避けなければならない最悪シナリオだ。

 日本はトランプ政権の「短期的成果」を求める姿勢を逆手に、長期的な日米経済協力のビジョンを提示することが重要だ。  (了)