【中国経済論談】
【中国経済論談】
「チャイナリスク」と「アベノミクス」の行方
中国ビジネス研究所代表、多摩大学大学院フェロー 沈 才彬
世界経済はいま大きく揺れている。その震源地は2つ。1つは経済減速が進行している中国。2つ目は金利を上げようとする米国。特に、中国の景気減速、上海株価の暴落及び人民元の切り下げなど「チャイナリスク」は急浮上し、そのインパクトが格別に大きい。
この「チャイナリスク」によって、安倍政権の成長戦略が狂い、アベノミクス」の迷走も始まった。
本レポートは中国現地調査の結果を踏まえ、「チャイナリスク」の実態及び、日本経済への影響を解明したい。
◆「チャイナリスク」と米利上げ見送り
米連邦準備理事会(FRB)は、9月17日に米連邦公開市場委員会(FOMC)を開き、事実上のゼロ金利政策を維持する声明を発表した。利上げを先送りした理由として、イエレン・FRB議長は中国など新興国経済を取り巻く不確実性の高まりや、ドル高・原油安が物価に与える影響の見極めに「少し時間が必要だ」と強調した。言うまでもなく、中国要素が今回の米利上げ見送りの決定的な理由の1つとなったことは間違いない。
今回のFOMC声明本文は中国への直接の言及を避けた。しかし、同日に行われた記者会見では、「チャイナリスク」への言及はイエレン議長発言の最も重要な内容と見られている。イエレン議長の「チャイナリスク」に関する発言を整理すれば、次の3つのポイントが注目される。
①8月世界金融市場の混乱は「チャイナリスク」懸念の反映
「8月の金融市場の動向も、中国経済の下振れや政策対応への懸念を反映したのだろう」。
②FRBは「チャイナリスク」の行方に注目
「特に中国と新興国に注目している。中国経済の減速そのものは、大きな驚きではない。問題は、予想と比べて大幅に減速するリスクがあるかどうかということだ」。
③「チャイナリスク」が米国にどう波及するかに注目
「焦点は中国を含む新興国の状況が米国にどう波及するかということだ」。
イエレン議長の発言から見れば、「チャイナリスク」は今回のFRB利上げ見送り決定の重要要素であるのみならず、その行方及び米国への影響は今後利上げするかどうかの重要な判断材料にもなることがわかる。
◆中国を震源地とする世界金融市場の激震
イエレン議長の記者会見発言の中で触れた「8月金融市場の動向」とは、中国を震源地とする世界金融市場の激震を指すものである。
今年6月以降、上海株価指数の下落は止まらない。上海総合株価指数は、今年2月から年初来高値更新の6月12日までの4ヵ月余りで65%も上昇し、明らかにバブルが形成された。その後、バブルがはじけ、年初来最安値更新の8月26日までの2ヵ月余りで上海株価は45%も暴落した。周小川・中国人民銀行(中銀)総裁も9月上旬に開かれたG20財務相・中銀総裁会議で、「バブルがはじけたような動きがあった」と率直に認めた。
株価の暴落に歯止めをかけるために、中国政府は7月に株価緊急対策(PKO)を発表し、上海株価指数は一時的に落ち着きを見せていた。ところが、8月11日、中国金融当局は突然、人民元対米ドルレート基準値(中間値)を約2%切り下げると発表した。12日、13日も大幅な切り下げが続き、3日間で累計切り下げ幅は4.6%にのぼる。この突然の人民元切り下げは、中国は勿論のこと、国際金融市場にも激震を走らせた。
8月18~25日の1週間、主要国の株価は揃って暴落していた。その下落率が中国18.4%を筆頭に、日本12.2%、米国10.5%、フランス8.2%、ドイツ7.2%、英国6.2%をそれぞれ記録した。まさに中国を震源地とする「チャイナショック」だった。特に人々を驚かせたのは、この「チャイナショック」の影響を最も受けた国は、実は新興国ではなく、日米欧先進国であることだ。
先進国のうち、特に米国の株価下落率は意外だった。輸出や直接投資など経済の中国依存度が高くない米国は、「チャイナショック」の影響が小さい筈なのに、人々の予想に反し、この1週間の米株価下落率が10.5%に達し、主要国の中で日本に次ぐ2番目大きかった。この事実はFRBを震撼させた。なぜ「チャイナショック」による米株式市場の影響が新興国より大きかったか? 「チャイナショック」はどんな形で米国に波及してきたか? 中国経済の景気減速はどこまで進行し、米国にどんな影響を及ぼすか? FRBにとって、これから綿密な検証作業が必要となり、これは米利上げを先送りさせた決定的な理由かも知れない。
◆「リーマンショック」を超えるほどの経済減速の厳しさ
「チャイナショック」の根底に、中国経済の景気減速に対する金融市場の強い懸念と不安がある。
中国経済は今、厳しさを増している。景気減速の深刻さは「リーマンショック」を超えるほどである。これは中国金融当局が実施した金融緩和の頻度から裏付けられている。
景気が良い時は金融引き締め、不景気の時は金融緩和。これは各国共通の金融政策である。中国金融当局の金融緩和の手段は主に2つ。1つは金利の引き下げであり、もう1つは商業銀行が中央銀行に預かる預金準備率の引き下げである。「リーマンショック」の時、中国金融当局は金利引き下げ4回、預金準備率引き下げ3回をそれぞれ実施した。
ところが、昨年11月以降、中国の金融緩和策として既に金利引き下げ5回、預金準備率引き下げ4回をそれぞれ実施した。その回数は今年8月時点で既に「リーマンショック」の時を上回った(表1と表2を参照)。にもかかわらず、景気好転の兆しが依然見えず、年内に少なくとも後1回をそれぞれ実施すると思う。金融緩和実施の頻度から、いま進行している中国経済減速の厳しさがわかる。
◆経済成長の二大エンジンが止まった状態
筆者は今年4月以降、3回も中国現地調査に行っている。調査を通じて、中国経済の実態は政府発表の7%成長より相当厳しい現実がわかった。
筆者の出張先である上海など中国東南部の沿海都市では、黒竜江省、吉林省、遼寧省など東北3省から仕事を求めるために来る人が急増している。この三省は今、いずれも不景気に見舞われ、多くの人々がリストラされ失業者となっている。当局の発表によれば、今年1-6月、全国31省市自治区のうち、「GDP成長率ワースト5」は次の通り。遼寧省2.6%、山西省2.7%、黒竜江省5.1%、吉林省6.1%、河北省6.6%。ワースト5のうち、東北三省は顔を揃える。東北地域は国有企業が集積する有数の工業生産基地であり、その景気の悪さから中国経済の厳しさの一斑が窺える。
上海や北京の車販売店や不動産屋にも行ってみた。昔のような賑わう面影はすっかり消えた。これまで高成長をけん引してきた、自動車と住宅という二大エンジンは今いずれも止まった状態だ。
まず自動車分野を見よう。「リーマンショック」以降、中国政府は大規模な景気対策を打ち出し、新車購入優遇措置を導入した。結果的には僅か6年で新車販売台数が2.5倍も拡大し、2014年には前人未踏の2349万台に到達した。現在、都市部のみならず、一部の農村部(例えば筆者が調査した江蘇省)でも自家用車が飽和状態になっている。新車販売台数は頭打ちの可能性が大きく、自動車分野の調整局面が避けられない。
事実、今年1月から中国の乗用車新車販売台数は、3月の季節要素を除き、6ヵ月連続で前月に比べ減少が続いている。特に7月の減少幅が拡大している。
住宅分野も販売不振が続いている。住宅の販売価格は昨年5月から11カ月連続で前月に比べて低下している。今年5月からは販売価格の持ち直しが見られるが、空室率が依然高く、楽観できない状態である。
車と住宅。裾野が広く、ほかの産業分野に絶大の波及効果を発揮してきた二大成長エンジン。今、いずれも疲労感が漂い、牽引力が乏しい状態が続く。
◆「中国経済崩壊論」も根拠ない
中国は今年上半期のGDP成長率を7%と発表したが、私の実感では6.5%~6.8%にとどまる。7月と8月も投資や消費及び輸出のいずれも悪化している。通年、7%成長という政府目標の実現は危うい。
一方、「中国経済崩壊論」も根拠が無い。中国の財政は割に健全で財政赤字がGDPに占める割合が1.8%にとどまる。外貨準備高は減少したものの、なお3.55兆ドルあり世界1位を保つ。金融危機の発生は考えにくい。
更に中国政府は金融緩和など複数の景気刺激手段を持っている。例えば、金利と預金準備率が日米欧に比べ高い水準にあり、さらに引き下げる余裕がある。
追加インフラ投資も可能だ。今年6%台の成長はキープできると思い、過剰悲観は禁物だ。
但し、中長期的に生産年齢人口の減少や投資と生産の過剰など構造的問題を考えれば5%、4%成長も視野に入れるべきだ。楼継偉・中国財務相が9月5日閉幕したG20財務相・中銀総裁会議で述べた通り、中国にとって、「今後5年間は構造改革の陣痛期」となり、安定成長への苦難の調整が不可欠である。この意味で、中国を震源地とする「チャイナショック」は暫く続くと見ていい。
◆人民元切り下げは年間ベースで5%程度
8月11日、中国人民銀行は突然、「人民元対ドル為替レート基準値(中間値)報告方法の改善に関する声明」を発表した。これに伴い、同日より三日連続で人民元の対ドルレート基準値を切り下げ、その幅は4.6%にのぼり、国際金融市場に大きな衝撃を与えた。
そもそも中国金融当局の人民元対ドルレート基準値算出方法変更は、国際通貨基金(IMF)の提案を受け入れて実施したものである。IMFは5年ごとに準備資産である特別引き出し権(SDR)の構成通貨や比率を見直すことになっており、今年はその年に当たる。IMFは人民元のSRD採用について前向きの姿勢を示し、中国側も人民元の国際化を図っている。両者の思惑は一致しているところが多く、協力姿勢が鮮明になっている。
これを背景に、今年8月初頭に発表したIMFレポートは、人民元のSRD入りを視野に、その対ドル基準値レートが市場実勢レートを反映しておらず、両者の間で約2%のかい離が生じていると指摘し、市場実勢を重視する為替制度への変更を提案した。
事実、2005年変動管理相場制へ移行した以降、翌年の2006年から2015年8月10日まで、人民元対ドルレートは累計で24.2%も切り上げられた。だが、昨年以降、中国経済の景気減速に伴い、市場実勢レートが元安方向に向かっている。にもかかわらず、中国政府は人民元の安定を維持するために、昨年7月以降、ドルを売って人民元を買うという市場介入を繰り返し、割高の人民元基準値を設定し続けている。そのため、中国の外貨準備高が僅か1年間で全体の1割に相当する約4000億ドルも減少した。この不条理な為替制度を改革しなければ、基準値と市場実勢レートが益々かい離し、中国経済に悪影響を及ぼしかねない。
中国為替制度改革のニーズが高まっているところ、IMFからの提案が適時に届いてきた。中国人民銀行はさっそくこの提案を受け入れ、8月11日に市場実勢をより正確に反映し、前取引日の終値をベースとする新たな人民元基準値算出方法を採用すると発表した。同時に、人民元対ドルレートを前日比2%近く引き下げた。
その後の推移から見れば、基準値が前日の終値をベースに設定され、基準値と市場レートのかい離をほぼ是正したといえる。従って、「競争的な通貨切り下げ」とか「輸出刺激のための切り下げ」とかという批判は実に当たらない。
ただし、発表のタイミングは悪かったし、説明も十分ではなかった。上海株価暴落後、国際金融市場はより神経質的な動きが続いている。このタイミングで突然な人民元切り下げによって、予期せぬ市場混乱が起きた。今後、人民元はどこまで切り下げるかが注目の焦点となるだろう。
個人的な見方だが、中国は巨額な貿易黒字や外国直接投資をもっており、さらに大幅な元切り下げが考えにくい。年間ベースでの人民元切り下げ幅は5%を超えることはない。一方、中国経済の景気減速を考えれば、来年以降も元安傾向が続くという見方は妥当だと思う。
◆中国経済の減速に伴い「アベノミクス」も危うい
中国の景気減速に伴い、日本経済に与える影響は政府や学者の予想より大きい。これは、第2四半期日本GDP成長率がマイナス1.2%に転落したことや、「チャイナショック」による日本株価下落率が中国を除く主要国の中で一番高かったことなどから裏付けられている。
その理由は日本経済の高い中国依存度にあると思う。日本経済の中国依存度は主に次の3つに示される。先ずは対中輸出。2014年日本の中国向け輸出は前年比6%増の13兆3844億円で、対米輸出(13兆6488億円)を若干下回る。しかし、香港向け輸出4兆円強を加算すれば、対中輸出は17兆円強で全体の23.6%を占め、米国の18.7%、ASEAN15.1%、EU10.4%を遥かにリードしている。
2つ目は来日中国人消費。人数から言えば、2014年来日中国人は前年比83.3%増の241万人で、台湾(283万人)、韓国(275万人)に及ばなかった。しかし、日本での中国人消費金額はダントツ1位で5583億円にのぼり、外国人消費全体の27%を占め、台湾人(3544億円)と韓国人(2090億円)の合計に匹敵する。今年は人数も消費金額も1位となるのは確実な状態となっている。中国人の「爆買」消費は日本の景気を刺激し、経済の下支え要素になっている。
3つ目は対中直接投資のリターンである。経済産業省が発表した【通商白書2015年版】によれば、最新データとして、2012年度国別日系企業の日本側への配当金額は中国の日系企業が約0.33兆円で1位となり、米国の約0.27兆円を上回る。
輸出、外国人消費、対外投資のリターン。現実では、中国巨大市場の重要性が目に見える形で益々増大している。しかし、中国の景気減速が加速すれば、日本の対中輸出も来日中国人消費も対中直接投資のリターンも大きな打撃を受けざるを得ない。アベノミクスの成長戦略も日銀のインフレ目標2%の実現も危うくなる。
そもそもアベノミクスは円安株高のメリットを除き、経済成長の成果が実に少ないと言わざるを得ない。2001~15年日本の実質経済成長率平均値0.9%に対し、第二次安倍政権(2013~)の3年間の実績は0.8%にとどまっている。民主党政権3年間(2010~12年)の平均値1.9%より1ポイント強低い。
中国経済減速の逆風が強まれば安倍政権の成長戦略も狂い、アベノミクスの成否は来年参議院選挙の結果を大きく左右することになる。「チャイナリスク」は日本の経済分野にとどまらず、政治分野まで拡散する可能性が出てくる。(了)